<柔道:全日本選抜体重別選手権>◇初日◇12日◇福岡国際センター

 「姉で金、妹でも金」だ。女子63キロ級で世界ランキング1位の上野順恵(28=三井住友海上)が、初の五輪代表を確実にした。決勝で田中美衣(了徳寺学園職)に優勢勝ちして2年ぶり7度目の優勝。04年アテネ、08年北京五輪を逃した悔しさをバネに、両五輪同70キロ級を連覇した姉雅恵コーチ(33)とともに大舞台をつかんだ。五輪で日本史上初の姉妹で金、3連覇に向け、二人三脚で歩いていく。

 しっかりバトンを受け取った。上野順は優勝を決め畳を下りるとコーチで姉の雅恵と握手を交わした。04年アテネ、08年北京五輪を逃し、三度目の正直でつかんだ大舞台。その両五輪で連覇を達成した姉に続く、日本史上初の姉妹金メダル、3連覇の夢が動きだした瞬間だった。「代表には優勝してなりたかった。ここは通過点。五輪では死ぬ気で金メダルを取りに行く」と誓った。

 姉が背中を押してくれた。1回戦を有効で勝ち上がると安松(環太平洋大)との準決勝では腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。「最後は気持ち」と姉に送り出された決勝では、気迫を前面に出し田中を圧倒、指導2つで頂点に立った。派手さはないが、泥くさく、しぶとい柔道。自身を信じ貫いた先に夢舞台が待っていた。「4年前を思い出して何が何でも勝ちたいと思った。姉にはありがとうと言いたい」と感謝した。

 雅恵がいたから順恵でいられた。昨年3月、09年に引退し、しばらく柔道から離れていた姉から「五輪を目指す上で私がいた方がいい」と尋ねられた。「うん」と即答し、そこから再び二人三脚が始まった。練習、合宿、大会のほとんどを共に行動。ひと回り体の大きい姉が、同級世界ランキング2位のライバル、エマヌ(フランス)役を買って出てくれるなど外国人対策も2人で練ってきた。「姉は今でも一番強い。居てくれると安心」と信頼する。

 08年4月、北京五輪代表の最終選考会だった同大会で優勝しながら代表を逃した。所属先の食事会で涙にくれながら「次は絶対に出る」と誓ってから09、10年の世界選手権を連覇するなど女王への階段を1歩1歩上ってきた。姉は「以前は頼りなかったけど最近は自分で考えてやるようになった。3連覇してほしいですね」。順恵は「すべてを懸けたい」と話す。姉妹で見る夢にはまだ続きがある。【松末守司】

 ◆上野順恵(うえの・よしえ)1983年(昭58)7月1日、北海道旭川市生まれ。旭川南高から三井住友海上へ。旭川南高時代に高校総体2連覇。世界選手権は09、10年に連覇し、11年は銀メダル。全日本選抜体重別選手権は02、03、05、08、09、10年に優勝。家族は両親と姉妹。柔道一家で知られ、父法美さんは道場を経営。姉雅恵、妹巴恵も選手。164センチ、63キロ。

 ◆日本の五輪兄弟メダリスト

 有名なのは重量挙げの三宅兄弟。兄義信は60年銀、64、68年金、弟義行は68年銅で、同時に表彰台に立っている。96年大会では柔道の中村兄弟が達成。次男の行成が65キロ級で銀、三男の兼三が71キロ級で金、95キロ級の長男佳央は7位だった。唯一の姉妹メダリストはレスリングの伊調千春と馨。04、08年大会で姉の千春が銀、妹の馨が金メダルを連続で獲得した。兄弟での金メダリストは日本にはいないが、海外では珍しくない。92年大会シンクロ・デュエットのジョセフソン姉妹や00年大会テニス・ダブルスのウィリアムズ姉妹らがいる。