3戦連続先発出場のSH流大(27=サントリー)が、攻守でチームを先導した。

テンポの速い球出しで攻撃の流れを作り、的確な指示でFW陣を動かして組織的な防御を作った。初出場ながら日本代表のリーダー陣に入るなど、高いリーダーシップで存在感を発揮。高校時代に培ったリーダー力、ラグビーで生きていくと決めた過去の決意が、日本を支える若きリーダーにまで成長した。

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大観衆の声援にかき消されそうになりながら、流は声を張り続けた。攻守に的確な指示で味方を操り、大柄な相手を翻弄(ほんろう)。時には密集に頭を突っ込み、相手FW選手に果敢にタックルした。後半中盤までチームを先導し「我慢強く戦えた。選手、スタッフ全員の力がつながった」と言葉に力を込めた。

地元の名門・東福岡高に憧れていた中学3年時に、熊本・荒尾高(現岱志高)の徳井清明監督から誘われた。試合中に堂々と味方に指示する姿に「日本代表になれる」と言われて入学を決意。だが、入部してみると、同期で経験者は2人。残りの12、3人は初心者だった。先輩の大半も、競技は高校から。入学前の理想と大きくかけ離れた現実に、不満がたまった。

「荒尾の先輩たちはもっとひたむきに、がむしゃらに頑張って花園に行っていると思っていました」

監督と部員が交換するラグビーノートに、たまらず書いた。怒られる覚悟だったが、チームのためなら伝えるべきと肯定された。「厳しく要求する分、ちゃんとやる」と自分に言い聞かせ、誰よりも早く朝練に参加。授業後も真っ先にグラウンドに行って練習用具を出し、練習後もグラウンドに最後まで残った。行動で示し、先輩に思いをぶつけると、誰も文句は言わずについてきてくれた。日本代表でも評価されるリーダーシップを、高校3年間で培った。

大学では、今の人生につながる選択を迫られた。2年生で帝京大でレギュラーの座をつかみ、大学選手権4連覇に貢献。3年に進級する前に新チームのリーダー陣に選ばれたが、素直に喜べなかった。荒尾高ラグビー部のお別れ会で「荒尾高校の教員になって先生を超えます」と宣言していたからだ。4月から6月にかけて行われる春季リーグと、教育実習が同時期だった。昔からの夢と、目の前に転がってきたラグビー選手として大成するチャンス。自分では決められず、徳井監督に電話した。「そこはお前が整理して決めること」。突き放されて、悩み抜き、数日後に再び電話。「ラグビーでチャレンジしたいと思います。だから教育実習には行きません」。決意の報告だった。「よかよか。頑張れ」。優しい声に背中を押された。

選んだ道は間違っていなかった。主将として大学選手権6連覇を達成し、15年に入ったサントリーでも、高いリーダーシップを発揮して2年目に主将に就任。17年4月に日本代表デビューと、とんとん拍子でW杯の切符をつかんだ。「やることは変わらない。とにかく声を出して元気よくやるということ」。ベテランのリーチや堀江、田中らに混じっても、変わらず声を出し続け、日本代表でもリーダー陣に名を連ねた。小さなリーダーが、大きな背中でチームを先導。「ラグビーを選んで後悔はない」。

大一番となるスコットランド戦に向け「どこが相手でも同じ準備をするだけ」と引き締めた。大舞台でも思う存分、声を出し続ける。【佐々木隆史】

◆流大(ながれ・ゆたか)1992年(平4)9月4日、福岡県久留米市生まれ。小2でラグビーを始める。熊本・荒尾高を卒業後、帝京大では2年から主力として活躍し、4年時には主将として大学選手権6連覇を達成。15年からサントリーに入団。代表キャップ数は21。ポジションはSH。166センチ、71キロ。