第321号(2001年4月) 14面記事 柔の申し子 泉 未踏の頂へ 柔の心の極意を求めて
「どんな相手ともガチンコで戦いたい」。その言葉に泉(営1)の全てが凝縮されている。その体格は172cm・85kgと、上背もなければ体重もない。だが、それでも泉は挑み続けるだろう。己の信じる頂点を目指して。 運命の日 本州最北端の下北半島。漁業が盛んなこの地に泉は9人兄弟の8番目に生まれる。小学校2年の時に近所の町道場「誠心館」に通い始めたのが柔道との出会いだった。「誰に指導をしていても必ず後ろに来て耳を傾けていた」(誠心館館長・大内二郎氏)。持ち前の根性と研究熱心さで、小学校4年の頃には体重無差別の県大会で優勝を果たすまでになった。春を迎えた桜花のごとく、泉はその才能を急激に開花させてゆく。その姿を見守る大内氏の心は、ある一つの思いを抱くようになっていった。「この子は…、もっと大きくなれる子だ」。 泉が小学校6年になったある日。大内氏は父・忠志さんを訪ね、胸に秘めた思いを打ち明けた。それは、泉を東京の名門・講道学舎に送り出すということ。突然の申し出に揺れる親心…。「せめて中学までは地元にいてほしい」。兄達は、皆家業である漁師を継いでいた。父は人生の決断を息子にゆだねる。「浩、柔道するか、それとも漁師になるか」。迷いはしなかった。「僕は…」。 制限時間 「10年間ください。それでダメだったら戻ってきます」。自ら課したタイムリミット。上京後の泉は一秒一秒をむさぼるかのように稽古に打ち込む。大会に出場すれば、相手がどんな巨漢であろうと真っ向勝負を挑み続けた。昨年(00年)の全国高校選手権では大会直前に右手を7針縫う大怪我をしながらも出場。「とても見ていられなかった」(母・裕子さん)という準決勝では片手で3人抜きを達成し、最後までチームを引っ張り続けた。 また、昨年(00年)の夏はインターハイ、そして全日本ジュニアを立て続けに制覇。表彰台の中央でほっとした表情をのぞかせる。「ようやく結果が残せた」。泉の名前が全国に響き渡った頃、あの日からは6年の月日が流れていた。 柔能制剛 今の最大の夢は、無差別級のみで開催される全日本選手権で優勝すること。それは、中量級の泉にとっては途方もない夢だ。「やるからには一番高い場所を目指す。あきらめてしまっては、そこから何も生まれはしないから」。その第一歩は、自分の階級を制した時に初めてしるされることだろう。約束の10年間、その最後の4年間が幕を開けようとしている。そこには背負っているものは自分自身の未来だ。柔能制剛の体現はまだまだ遠いに違いない。だが、胸の思いを忘れぬ限り、夢はいつしか現実となる。大志を抱いた少年に輝かしい未来のあらんことを。【石川孝明】 ●関連記事 第340号1面記事:泉 アテネ五輪へ 夢の舞台で金をつかめ 第338号2面記事:全日本体重別選手権大会 文句なしの強さで90kg級制覇 ・世界一への可能性 ・明大生というもう一つの顔 ・主な戦績