マリナーズ・イチロー外野手(37)が、大リーグ10年目の区切りとなったシーズンを振り返った。オフ突入後しばらくは、珍しくゴルフざんまいの日々だったことを明かし、チームとともに苦しんだ今季を振り返った。また、ポスティングシステム(入札制度)を利用して米に挑戦した当時の心境も改めて語った。

 --このオフは

 イチロー

 ゴルフですね。野球ではほとんどできたことがないのに(手が)まめだらけですよ。野球もゴルフもきっと、下手くその手は汚いってことでしょうね。

 --例年、この時期も打撃練習やキャッチボールを欠かさない

 イチロー

 バットもボールもほとんど握っていません。ゴルフであっちこっち(ボールが)いってしまうので(体は)トレーニングよりきついですけど。

 --バットを振らないと気持ち悪くなるのでは

 イチロー

 気持ち悪いのはティーショットが真っすぐ飛ばないときでしょうか。まあ、こちらで10年たって、そろそろゴルフをやってもいいんじゃないか、という時期が来たのかな、と思っています。

 --7月の月間打率、安打数とも10年目で最低。特に夏場に苦しんだ

 イチロー

 4月から気持ちよくなかったんですよね、ずっと。(厳しい事態が)いつか来るぞ、という状態でした。よくあれで(シーズン中盤まで)結果が出たと思います。毎年のことですが4月は感覚を把握する月になる。だから、4月に結果が出ない年の方がトータルでは良かったりすることが結構あります。4月に結果が出てしまうと、修正が必要かどうかの判断がしづらいし(問題が見つかった場合は)シーズンが終わりに近づくほど修正が難しくなる。バッティングは(修正という意味で常に)動いているし、でも(1つの方向に)傾いてはいけない。このバランスをどう保てるか。難しい、などという生易しいものではない。

 --前評判に反してマリナーズは序盤から低迷。ワカマツ監督、グリフィーと昨季までの中心人物が相次いでユニホームを脱いだ

 イチロー

 本拠地の開幕戦でランディ・ジョンソンが始球式を務めたとき、かつてチームメートだったダン・ウィルソンやエドガー(マルティネス)、ビューナーにジュニア(グリフィー)がマウンドに集まった。あの光景がすごくうらやましかった。と同時に、これだけシアトルで長くプレーしているのに僕には彼らのような存在がいないな、とも思ってしまいました。フェリックス(ヘルナンデス)やフィギンズがそんな存在になればいいな、そのためのスタートの年にしたいな、と思っていたのに、いきなりずっこけてしまいました。

 --特に衝撃が大きかったのはグリフィーの突然の引退

 イチロー

 確実に殿堂入りする実績があって、いつも奔放に振る舞っているように見える人ですが、実際は他の人のことを細やかに気遣うことを常にしてくれていた。そんなジュニアが傷ついて去ってしまったことがつらかった。ジュニアと同じチームでシーズンを戦うことなんて、起こり得ないと思っていましたからね。毎日一緒に時間を過ごしていても、これは特別なことなんだ、という気持ちが常にありました。

 --若手中心のチームは2年ぶりに101敗。

 イチロー

 2年前にいた選手たちはもうほとんどいないですし、あのころと違うことは誰もが分かっている。ただ10年を終えた僕には、まだこの段階にいるのかという思いもある。いい補強ができたという思いもあったし、みんな希望を持っていた。その上でこの結果ですから、これからは簡単に目標を口にするのは難しいな、と思います。

 --10シーズン連続200安打。区切りの10年を終え、渡米当時を振り返ると

 イチロー

 一刻も早くメジャーリーグに挑戦したかった。そのための唯一の手段がポスティングであり、フリーエージェントを待てば(それは)つらい時間になると想像しました。

 --代理人のアタナシオ氏は、当時のイチローが入札相手や契約内容にこだわらず、いかなる状況でもプレーする覚悟だったと証言している

 イチロー

 チームを選択できないことや交渉時間が限定されていることなど、選手側に不利に見える制度ですが、そもそも(自分は)アメリカでは何の実績もなかったんですからね。リスクを受け入れる覚悟がなかったらポスティングで行かせてくれ、なんて言えません。

 --その後多くの日本人選手が海を渡り、WBC連覇もあった。日本球界には日米の距離が縮まったという見方もある

 イチロー

 多くって言うんですかね、この数で。実際に(大リーグに)触れた人間があまりに少ない上、歴史と言えるほどの時間が経過していない中で、(日米の野球の比較)評価をできる人間なんているのでしょうか。いろんなものが成熟していかなくてはいけない、ということでしょうね。