黄金の背番号で世界一をつかむ。楽天からヤンキースへ移籍する田中将大投手(25)の背番号が25日、「19」に決まった。提示された複数の候補の中から自ら選択した。過去にヤ軍の19番は通算252セーブのデーブ・リゲッティらが背負い、通算236勝の左腕ホワイティ・フォードもデビュー年につけた“出世番号”。日本で慣れ親しんだ「18」から1つ進んだ番号で、世界に挑む。

 偶然か、それとも必然なのか。この日の早朝にヤンキースが背番号を発表。栄光の「19」を授かった田中は、コボスタ宮城での自主トレを終えると淡々と話し始めた。新たに決まった番号のイメージを聞かれ「そんな特にない。何番だって一緒でしょ」と素っ気なく話した。しかし、この19番は代々、ヤンキースの歴史を築いてきた。

 通算236勝。勝率6割9分と圧倒的な数字を残し、ヤンキース史上最高の投手と呼ばれる左腕フォードは「19」でデビュー。背負ったのは1年だけだが、その後にサイ・ヤング賞やワールドシリーズMVPを獲得。引退後は野球殿堂入りするなど、19番からメジャーを代表する投手へと駆け上がった。いわば黄金のナンバーだ。他にもターリー、リゲッティらがこの背番号で、ヤ軍投手陣の屋台骨を支えてきた。

 これだけの吉兆がそろう番号を、田中は自らの意思で選んだ。日本で慣れ親しんだ「18」はすでに黒田が背負っており、それ以外の番号を複数提示された。「(提示が)いくつかあってその中から選ばせていただきました」ときっぱり。14、17、20などを含む空き番から、最高の“出世番号”を選択した。楽天では入団時監督の野村克也氏もつけていた。

 この日は室内練習場でランニングやキャッチボールなどで汗を流した。5日連続で練習を行い、調整は順調に進む。移籍が決まり周囲からの反応を問われると、「そんなになかった。ちょくちょく『良かったね』と言われる」と控えめな様子。しかし投手史上歴代5位の大型契約を結んだ右腕に、カメラを含め報道陣は20人以上が集結するなど、注目は集まるばかりだ。

 7年間背負った18番に対する思いを聞かれると、「19もそうですけど、18に対するこだわりもないです」と話す。それでも楽天の「18」といえば田中と言われるほどに、背番号とともに成長してきた。23日に行われた会見では「背負える物は背負いますけど、自分が背負ってつぶれるようなことだけは絶対したくない。自分のプレーを心がけてやることは変わりません」と決意を口にした。背中で語るのではなく、プレーで語る。伝統の出世番号など関係ない。ニューヨークの地で、田中自身の「19」を作り上げていく。【島根純】<ヤンキース主な背番号19>

 ◆ビック・ラッシー

 メジャーデビュー2年目の47年に背負った。その後、16番となり、ワールドシリーズ5連覇など達成にエースとして貢献。

 ◆ボブ・ターリー

 55年から62年に背負い、58年にサイ・ヤング賞を獲得。

 ◆フリッツ・ピーターソン

 67年から74年につけ、70年には20勝。当時同僚で、日本ハムにも在籍したマイク・ケキッチと妻を交換した逸話も有名。

 ◆デーブ・リゲッティ

 デビュー時の79年は56番も、81年から(90年まで)着用。83年の独立記念日(7月4日)のレッドソックス戦でノーヒットノーラン達成。救援投手に転向後も、86年に46セーブでタイトル獲得。

 ◆アーロン・ブーン

 レッズから03年シーズン途中に移籍し着用。同年のア・リーグ優勝決定シリーズ第7戦でサヨナラ本塁打を放ち、ワールドシリーズ進出に貢献した。