天国で見守ってください-。中日の2年目若松駿太投手(18)が2日、今季の飛躍を誓った。前日1日に九州地区担当スカウトの渡辺麿史氏が急性白血病のため、57歳の若さで死去。無名の高校生をプロの世界に導いてくれた恩人の期待に結果で報いる。谷繁元信兼任監督(43)の猛プッシュで1軍に抜てきされた右腕、2日連続のブルペン入りでアピールした。

 感謝と悔しさ-。18歳若松が投じたボールには多くの感情が乗り移っていた。2日連続のブルペンでマウンドから跳ね上がるような全力投球。60球を投げた若松は「渡辺さんがいなければ、この世界にも入っていない。親と一緒。お父さんみたいな存在です」と神妙な表情だった。

 訃報が届いたのは前日1日の練習後だった。球団関係者から連絡を受け、絶句した。甲子園出場歴もなく、ドラフト指名の検討材料となると調査書が届いたのは中日1球団だけ。そんな若松を高校2年から追いかけ、プロの世界に導いたのが渡辺氏だった。まさに恩人という言葉がピッタリだった。

 実家がある福岡に帰省していた若松は、昨年12月30日に連絡を受けて病院に駆けつけた。ベットで横になる渡辺氏からは「秋季キャンプはいい感じで終われたみたいだな。そのまま頑張れよ」と激励されたという。「申し訳ないです…」。1軍で投げる姿を見てほしい。その思いを果たすことはできなかった。若松が7位で指名された12年のドラフト会議後。無印の高校生を推薦した理由を聞かれた渡辺氏は笑った。「下位ですからね。スカウトの好みもありますよ。ボールに角度があってね。コントロールがいいんです。高校のグラウンドでお客さんを見つけると、全力で走ってあいさつに来るんです」。まるで息子に向けるような優しいまなざしだった。

 今回のキャンプでは1軍に大抜てきされた。友利投手コーチは「兼任監督たっての希望だった」とその理由を説明した。秋季練習で行われた紅白戦では4回無安打で「監督賞1号」にもなった。同コーチは「コントロールはいいし、マウンドさばきも悪くない」と、今後もシート打撃などに登板させる予定だ。この日の北谷球場は朝からポツリ、ポツリと“涙雨”が降っていた。それが若松がブルペンを投げ終えた頃から太陽が差した。「これなら大丈夫」-。天国の恩師が安心したのかもしれない。【桝井聡】<若松駿太(わかまつ・しゅんた)アラカルト>

 ◆生まれ

 1995年(平7)2月28日、福岡県久留米市。

 ◆球歴

 小学4年で野球を始める。福岡・祐誠(ゆうせい)高2年まで投手兼内野手。同校3年の夏は福岡大会2回戦敗退。

 ◆精密機械?

 高校では土木科。2年の時には小型車両系建設機械の資格を取得。3トン以下の重機を自在に操る。

 ◆谷繁アイ

 谷繁監督は昨秋の監督賞の理由を「試合をする上である程度のものは持っている。実戦向きというか。そういうのは出してくれた」と説明。

 ◆張り切りすぎ?

 監督賞ゲットの翌日に風邪をひいて契約更改を欠席。後日改めて契約を更改した。

 ◆サイズ

 180センチ、75キロ。右投げ右打ち。