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第11回アルゼンチン大会

映像は130カ国に届けられた


 世界中のテレビに映し出された決勝戦は、W杯を代表する美しい映像だった。選手入場に合わせて8万人の観衆が紙吹雪、新聞、紙テープを投げ込んだ。緑ではなく白のじゅうたんの上を、ケンペスが長髪をなびかせて高速ドリブルで駆けた。その映像は130カ国に届けられた。

 日本で初めてW杯が生中継されたのは74年西ドイツ大会の決勝で、東京12チャンネル(現テレビ東京)が視聴率3・7%を記録した。W杯の生中継が本格化したのが、4年後のアルゼンチン大会だった。NHKが担当。南米では開幕に向けてカラーテレビへの切り替えが進んで需要が高まり、日本のメーカーも大量に輸出した。ただ、肝心のアルゼンチンにはカラー放送用の設備がなく、世界に向けた衛星中継のために開幕前に急ピッチで整備された。

 当時7歳だったカメルーン代表FWエムボマ(元神戸)はこの大会を移住先のパリで見た。「ケンペスにあこがれた。ゴールの喜び方や、世界中の人を興奮させることに感動した」とプロ選手を志したという。試合中継に関しては「アルゼンチン人パイロットがテレビに夢中になり、離陸が数時間遅れた」「試合当日は生徒が1人も小学校に来ない」「ゲリラもテレビ観戦のために大会中は活動しなかった」など、数多くのエピソードが残されている。

 視聴者の急速な拡大で、大会における広告の価値も高まった。広告看板の販売が本格化したのもこの大会からで、イギリスのウエスト・ナリー社がプロモートし、日本企業では初めてキヤノンが公式スポンサーに名を連ねた。82年のスペイン大会からは放送権と広告看板セールス権が、従来の開催国組織委員会からFIFAの直接管理へと変更。その後、欧州選手権、欧州チャンピオンズ杯(現チャンピオンズリーグ)など国際的な人気大会をパッケージした「インター・サッカー4」と呼ばれる広告商品が売り出され、サッカーは商業価値を高めていった。

















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