アジア記録保持者の中西麻耶(31=うちのう整形外科)は、5メートル42で4位に終わり、メダル獲得はならなかった。昨年の世界選手権3位の高桑早生(=エイベックス)は5位だった。

 メダルまであと1歩及ばなかった。中西は「3本目に助走を崩したのが敗因。そこからの修正力がなかった。調子は悪くなかった」と振り返った。

 リオでコーチの存在が大きいことに気づいた。12年ロンドン大会後、引退を表明した。しかし、競技への思いを捨てきれず、13年に拠点を地元大分に移して復帰。北京五輪男子陸上400メートル障害の成迫健児氏の父、壱氏にコーチを依頼した。二人三脚でトレーニングに励み、順調に記録も伸びた。昨年の日本選手権では自身が持つアジア記録を3センチ更新する5メートル51で優勝した。しかし、今年6月、教員でもある成迫氏の仕事が忙しく、指導するのが難しくなり“コンビ”を解消した。リオ大会までの3カ月は独自で練習し、思い切ってステップを変えた。これまで19歩での跳躍を18歩に変更した。「悪い選択ではなかったけど、ふとした時に前のリズムになる。これまでコーチに頼っていたせいで、自分自身を知れてなく、最後まで修正できなかった」。

 スタンドでは男子走り幅跳びの金メダル候補、山本篤(34)が急きょ、コーチ役を務め、跳躍が終わるごとにアドバイスを大声で送っていた。

 中西の夢は20年東京大会で「6メートルジャンパー」になって金メダルを取ること。「今回は悪い敗北ではない。これからの4年間でしっかりと環境を整え、大分から世界へ羽ばたけるようにしたい」。中西が新たなスタートを切る。