金メダル候補の山本篤(34=スズキ浜松AC)が自己ベストに並ぶ6メートル62で銀メダルを獲得した。

 日本選手団初の金メダルはならなかった。4本目。観客に両手で拍手を求めた。拍手のリズムに乗り、体を斜めに投げ出すように跳んだ。着地後、右手でガッツポーズ。手応えがあった大ジャンプだった。6メートル62。自己ベストだった。しかし、ライバルのポポフ(ドイツ)が6メートル70を跳び、2位に終わった。「表彰台に立っても悔しいの一言。金を目指して銀で終わった。銀も銅も同じで負けは負け。8センチの差だけど大きな差です」。

 1位から3位までわずか「13センチの戦い」だった。世界のライバルもリオ大会にピークを合わせてきた。山本は今年5月、(当時)6メートル56の世界記録を樹立。その後、6メートル62まで伸ばした。しかし、6月にヨーゲンセン(デンマーク)、7月にはポポフが6メートル72を記録した。

 この日の跳躍の最後は既に金メダルが決まっていたポポフだった。ポポフが跳躍の時、山本が他の選手に声をかけ、観客に大きな拍手を求め、会場が最高潮の盛り上がりとなった。山本は「走り幅跳びの面白さを知ってもらいたかった。2人のおかげで僕も成長している。感謝しています」と話した。

 中学、高校とバレーボール部だった。高2の00年3月、バイク事故で左太ももから下を切断した。高校卒業後、義肢装具士の専門学校で陸上を始めた。のめりこみ、初出場の08年北京大会の走り幅跳びで銀メダルを獲得し、日本初の義足アスリートのメダリストになった。12年ロンドン大会は走り幅跳びは5位に終わったものの、100メートルで6位、200メートルで8位と3種目で入賞した。リオ大会では400メートルリレーでは銅メダルを獲得した。