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朝青龍また負傷、右かかと全治4週間

2日の巡業でけいこを行う朝青龍。右足かかと部に黒いサポーターをつけていた
2日の巡業でけいこを行う朝青龍。右足かかと部に黒いサポーターをつけていた

 来日わずか1週間で横綱朝青龍(27=高砂)が、また壊れた。6日、都内の病院で「右足関節周囲炎」で全治約4週間と診断された。モンゴル帰国中に痛めた右足かかとの故障が、4日に終了した冬巡業で悪化した。けいこは9日から再開予定だが、四股(しこ)も踏めない状態で、医師から動きの制限をつけられた。7月末に左ひじと腰の疲労骨折で全治6週間と診断され、その後「解離性障害」を患ったばかり。賜杯奪回を目指す初場所(1月13日初日、両国国技館)へ、再び爆弾を抱え込んだ。

 朝青龍はこの日午前、東京・港区の「平石クリニック」を訪れた。痛みの引かない右かかとのCT検査と血液検査を受けた。診察結果は「右足関節周囲炎で全治4週間」。想像以上に重かった。「右足の踵骨(しょうこつ)が2、3ミリ立方骨の方にずれ、本来あるはずの間接部分がつぶれて2つの骨がくっついた状態。炎症が起きて足全体がはれ上がっていた」(平石貴久医師)。朝青龍は「仕方ない」と現実を受け入れていたという。

 11月30日にモンゴルから来日してまだ1週間。東京での謝罪会見後、2日の大分・豊後大野場所から冬巡業に参加。笑顔で場所を盛り上げ、ぶつかりげいこでは、ブランクを感じさせない豪快な相撲もみせていた。しかし、平石医師は負傷の原因がこの冬巡業にあったと指摘する。

 平石医師「横綱はモンゴルに帰国中(10月上旬)に右足首をねんざし、完治しないままトレーニングを続けた。さらに冬巡業(2~4日)でハッスルしすぎた。私が豊後大野場所で直接診たときも右足は少しはれていたが、『休む』など言い出せる雰囲気ではなかった。3日の柳川場所のけいこで悪化させたと思う。4日の天草場所では相当に痛そうにしていましたから」。

 確かに冬巡業中は右足にサポーターをつけていた。4日に予定されていた白鵬との「横綱三番げいこ」も「右足が痛いので」と朝青龍から断りを入れていた。

 タイミングも悪すぎた。7月の名古屋場所中に左ひじ痛に加え腰の疲労骨折を負い、場所後に「全治6週間」と診断されて夏巡業を休場。にもかかわらずモンゴルでサッカーに興じたことで「仮病」を疑われた。さらに2場所出場停止と約4カ月間の謹慎処分にショックを受けて「解離性障害」を患い、モンゴルに帰国。世間の非難が集中した。今回、謹慎期間が明けて、本人もゼロからの再出発を決意したばかりだった。

 長期ブランクの後だけに、1カ月後に迫った初場所へ急ピッチの調整が必要。朝青龍も「9日からはけいこを始めたい」と訴えた。しかし、平石医師はけいこ再開は認めた上で「右足で土俵を踏むしこ、すり足は控えた方がいい。ぶつかりげいこでも土俵際で右足で踏ん張るようにはしない方がいい」と制限がつけた。

 これまでは負傷するたびモンゴルに帰国していた。「大半の負傷は1週間で治る」という温泉施設で40度の泥を塗る治療を繰り返してきた。再び帰国を高砂親方に申し出る可能性はあるが、同親方は「初場所を終えるまでは簡単に帰国は認められない。治療は日本でもできる」と今回ばかりは認めるつもりはない。

 無理をすれば初場所休場という最悪の事態を招きかねない。3場所連続休場となれば、横綱として進退を問われる。制限つきのけいこをしながら、足を治して、初場所に照準を合わすしかない。朝青龍はこの大ピンチをどう切り抜けるのだろうか。【柳田通斉】

[2007年12月7日9時11分 紙面から]

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