スピードガン表示と、打者の体感速度は違う-。全国高校野球選手権大会100周年企画、「未来へ」の第6回は、球児たちのスピードの変遷に迫る。花巻東(岩手)大谷翔平投手(20=現日本ハム)が160キロを出すなど、高校生も150キロ台を連発する時代に突入。その中で、スピードガン誕生前の作新学院(栃木)江川卓(59)こそ最速という声は根強い。プロでは最速151キロといわれるが、高校時代はもっと速かったのか。怪物が語る、スピードとは。(敬称略)【前編】

73年5月、関東大会の銚子商戦で力投する作新学院の江川卓
73年5月、関東大会の銚子商戦で力投する作新学院の江川卓

 毎年甲子園の季節が来るたびに、超高校級投手が現れるたびに、都市伝説のように語られることがある。

 江川卓が、高校生史上最速だった-

 全国デビューとなった3年春のセンバツ。1回戦の優勝候補の北陽(大阪)戦で、江川のボールが初めてバットに当たったのは5番打者への23球目だった。かすってファウルになっただけで、超満員の甲子園がどよめいた。圧倒的な力で、19奪三振完封。打てないどころか、バットに当たらない怪物。ノーヒットノーランは3年間で公式戦計9試合(完全試合2試合含む)。こんな高校生は、後にも先にも現れていない。

 スピードガンがなかった当時、一体何キロ出ていたのか。

 「『分からない』というのが正直なところです。高校野球の江川卓は、高めのボールで三振を取っていたので、バッターの目には浮いてくるように見えた、ということは言えるんですが、何キロかって聞かれると、『分からないです。きっと速かったとは思います』という答えになりますね」

 そう言って、理論派の江川らしく、スピードガンの説明を始めた。各球場ともネット裏の、グラウンドレベルより高い位置に設置されているのが一般的だ。

 「スピードガンは上から見ていますよね。(ボールに対して)対角線の角度がきつい方が、スピードは出るんです。みなさん誤解されているのは、高めのボールの方が速いって言ってますが、低めの方が絶対にスピードガンは出るんです。ワンバウンドが一番速いんです。絶対に。理論上は」

 ではなぜ、江川の高めのボールを、打者は空振りしたのか。

 「ところが人間の感覚は面白いもので、バッターは、顔の近くの方が体感は速いですからね。低めは、目から遠い分、体感は速くないから振らない。バッターが胸の辺りを空振りするのを『速い』と表現するので、スピードガンが出るのは、一般的には速くても、僕らは速いとは思わない。我々が言う『速い』と、スピードガンが出ることは、すごく違うことなんです。それが僕の結論なんです」

 だから、バットに当たらなかった高めのボールは「スピードガンは出てなかったと思う」と言う。体感速度は、スピード表示だけでは測れない。

 「(ソフトバンク)松坂投手が甲子園の決勝で投げている頃を見ましたけど、高めのボールは速いなって思いました。大谷君は(160キロを)予選で出しましたからね、見てません。彼は、指に掛かるボールと掛からないボールが、すごくばらつきがあるんですね。大谷君のスピードが出たときも、高めじゃなくて、低めのボールです。そっちの方が絶対に出ますから」

 近年は150キロを超える高校球児が多く現れているが、「だけど、空振りはしないでしょ。それは、多分スピンというか、いい回転をしてないんです」と言う。江川自身は、ボールが浮き上がる、ホップする感覚を強く自覚していた。

 「浮き上がるボール」の原風景は、小学生時代を過ごした静岡・浜松市の天竜川にあった。江川少年は、川幅約100メートルの対岸に向かって、毎日石を投げた。

 「『石を風に乗せること』を自然にやったんです。本当に毎日。最初は小学校2~3年の時は川の半分しか行かないんですけど、5年生で初めて向こう岸に届いたんですね。それは風に乗せないと、行かないんです、絶対に。石を風に乗せる方法が、高校野球で生かされたんですね。漫画みたいな話なんですけど」

 一般的に、ボールの切れとは、投手が投げたボールの回転数に関係すると言われる。江川は石を投げながら、指先でスピンをかける感覚を養った。

 「(投球時に)キャッチャーまで十何回転かするんですけど、僕の場合は4か5ぐらい多いんですよ、回転が。だから多分空気抵抗がすごく多くなるので、沈まないで、浮いていく感じになるんだと思います」

 自然の中で培った感覚が、直球の礎になった。野球人生で一番速いと自覚している時期もまた独特だ。

 「プロ野球は、1年間通してやらないといけない。全力ですけど、打者の特徴とかで、コースを狙うやり方です。だから速さで言えば、甲子園に何とか出ようと思って一生懸命投げていた、高校1年の秋から2年生の夏ぐらいまでが、一番速いんじゃないかと思います」。(つづく)【前田祐輔】


 
 

 ◆江川の球速 巨人に在籍した79~87年はスピードガンが完全に普及していない時代で、最速何キロという数字は出せない。それでも節目ではいくつかのデータが残っている。法大4年の77年春、あるスカウトは、「140キロ台」と話した。当時、プロ最速は山口高志(阪急)の145キロといわれており、プロのトップクラスに劣らぬ数字だったという。プロ1軍デビューの79年6月2日阪神戦では、最速144キロ(打者竹之内)。3年目の81年は自己最多の20勝を挙げ、勝利、防御率、勝率、奪三振、完封の投手5冠でリーグMVPと絶頂期だったが、この年は最速151キロだった。8連続奪三振をマークした84年球宴では、最速147キロ(打者クルーズ)。

江川氏は、作新学院時代の写真を手に当時を振り返る
江川氏は、作新学院時代の写真を手に当時を振り返る

 ◆江川語録

 ▼究極の目標 「予選で27奪三振を狙ったことはあるんですけど、取ったことはない。当時は警戒してバントが始まってしまう。だから難しいんですね」

 ▼ひねくれ者? 「甲子園に着いた時の第一声は『ちっちゃいですね』でした。本当はすごくでっかくて、びっくりしたんですけど。新聞に載ると思ったので『大したことないですね』って言ったんです」

 ▼練習 「練習嫌いって言われますけど、ちゃんとやってました。長距離やダッシュ100本とか、水も飲めないですし。僕は嫌いなんですよ。やっているところ見せるの。照れ屋なんで。遠投が多かったです。ウエートは、筋肉が硬くなる感じがして嫌いでした」

 ▼気になる球児 「(早実)清宮君が『3本ヒット打ってもしょうがない』と発言してましたけど、すごく面白いですよね。バッターはホームラン。ピッチャーは空振りが取れる、バットに当たらない恐怖感を与えられる。野球の絶対的な魅力を、これからの高校生が目指していけたらいいと思います」