秋田 優勝記事
明桜甲子園!二木5戦663球/秋田大会
- 甲子園出場を決め加賀竜太捕手に飛びつく明桜二木健投手(右から2人目)
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明桜Vへの足跡 2回戦 5-0 由利 3回戦 3-1 能代 準々決勝 10-4 横手 準決勝 2-1 西目 決勝 3-0 本荘
<高校野球秋田大会:明桜3-0本荘>◇7月21日◇決勝
明桜が、東北のトップを切って甲子園切符を手にした。前年優勝の本荘を3-0で下し、前校名の秋田経法大付以来13年ぶり8度目の出場。明桜1期生の左腕エース二木健(ふたぎ・たける=3年)が3安打完封し、7日間で計5試合(45回1/3)、663球を投げ抜いた。県勢甲子園11連敗中の不名誉な記録のストップは、二木に託された。
名門が長い冬を抜けた。呪縛(じゅばく)を解いたのはエース二木だ。前日まで541球を投げた疲れを見せるどころか、決勝も完封劇の舞台にした。「昨夏は自分のせいで負けた。優勝は自分を立ち直らせてくれた仲間のおかげ」。勝利の瞬間は背中を弓のようにしならせてガッツポーズし号泣した。
計663球を投げても、失意の1年間に比べれば苦しくなかった。昨夏準決勝の本荘戦。3-0から登板も4失点降板し「こんなに野球は苦しいものなのか。つらい。逃げ出したい」とふさぎ込んだ。放心状態で見た昨夏の甲子園。横浜(神奈川)の同じ左腕エース土屋健二(日本ハム)が4強入りし「冷静なマウンドさばきを見て、カッとなって独り相撲する自分はダメだと思った」。仲間も「来年、甲子園へ行けばいい」と励ましてくれた。
弱虫だった。母静子さん(54)が「ちょっと転んでも泣く。中学の卒業式も、女の子より先に泣いた」と明かせば、二木も「最初は寮生活でホームシックになって泣いた。休日のたびに逃げるように家(秋田市内)に帰っていた」。それが、昨夏の敗戦を糧に頼れる男になった。加賀竜太主将(3年)は「今の二木は、苦しい顔を誰にも見せない」と笑った。
田中亮監督(38)にとっても悲願だった。秋田経法大付では夏の甲子園出場。卒業後は住友金属鹿島でプレーしたが、01年にコーチに就任。03年に監督に就いた。「社会人野球の10年表彰が目前だったし、会社を途中で辞めれば迷惑がかかる。それでも母校のために何かしたかった」。そんな心も、05年7月に成績不振で解任され折れそうになった。だが、07年の2度目の就任でチームを立て直し「長かった…。少しは恩返しできたかな」と泣いた。
明桜としては初。秋田経法大付での出場以来、13年ぶり夏の甲子園。秋田県勢は11連敗中とあって、89年に4強入りした名門にかかる期待は大きい。二木は「連敗は自分たちが止める」と優勝後に即、約束した。【木下淳】
[2009年7月22日 紙面から]
◆明桜 1953年(昭28)に秋田短大付として開校の私立校。64年に秋田経大付、83年に秋田経法大付と改称し、07年から現校名。生徒数は740人(女子210人)。OBは元阪神の中川申也、元巨人の小野仁、ソフトバンク摂津正ら。秋田市下北手桜字守沢8の1。古谷元人校長。
秋田大会
優勝 | 参加校 | 組み合わせ表 | 春季大会優勝校 | 昨夏代表校 |
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明桜 (13年ぶり8度目) |
52校 (前年比-1) |
ダウンロード[PDF] | 秋田商 | 本荘 |
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