兵庫 優勝記事
関西学院復活70年ぶり甲子園/兵庫大会
- マウンドでガッツポーズする山崎裕貴(中央)に駆け寄る関西学院ナイン
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関西学院Vへの足跡 2回戦 9-4 三木北 3回戦 9-0 川西緑台 4回戦 6-2 市川 5回戦 5-4 報徳学園 準々決勝 3-2 神戸弘陵 準決勝 2-0 滝川二 決勝 4-1 育英
<兵庫大会:関西学院4−1育英>◇7月30日◇決勝
兵庫の古豪・関西学院が育英を4-1で破り、実に70年ぶりとなる出場を決めた。1-1で迎えた8回に3点を挙げて逃げ切った。25回大会(39年)以来7度目の出場、70年ぶりは夏の最長期間記録となる。
関西学院すべてのOBの思いが4番高馬啓城(こうま・ひろくに)外野手(3年)のバットに乗り移ったのかもしれない。1-1の8回1死満塁、4球目の直球を無心で振った。フラフラと舞い上がった打球は右前にポトリと落ちる。勝ち越し点を泥くさく奪った。4-1。9年前のリベンジを果たし、戦後初の夏をつかんだ。ナインは抱き合い大声で叫び喜びを表した。高馬は「OBの皆さんが打たせてくれたのかもしれない。関学で野球がやれて本当に幸せ」と話した。
戦前の関西学院には伝説の最強チームが存在したという。1918年(大7)に兵庫大会3連覇を果たしながら、全国大会は米騒動で中止された。46年(昭21)の兵庫決勝戦で芦屋中に0-4と敗れたときの選手だった古賀創三さん(80)は「戦前は米騒動のときの先輩の無念を晴らそうというのが、部の合言葉だったと伝え聞いた」とスタンドで振り返った。
39年を最後に夏は全国大会から遠ざかった。広岡正信監督(55)は「野球部員が学校のソフトボール大会で三振するような弱い時代もあった」という。監督は4年前の健康診断で腎臓に異常が見つかり検査入院した。今も薬を服用しながら指揮を執る。「強くなるには日々の積み重ねしかない。OBもたくさん応援に来てくれた。そういうみんなの思いが勝たせてくれた」と目を潤ませた。
ユニホームの色は当時と同じエンジと白。エンジは情熱、白は純白を表す。窪大介主将(3年)は「OBの期待を背負って甲子園でも優勝する」と宣言した。広岡監督も「全国でも弱くないと思う。普段着の野球をしたい」。70年ぶりの晴れ舞台で次に目指すのは、89年ぶりの夏制覇だ。
[2009年7月31日 紙面から]
◆関西学院 1889年(明22)創立の私立校。生徒数は910人。野球部は1899年(明32)創部。甲子園は春夏とも6度出場し、春は28年、夏は20年に優勝。主なOBはオリックス宮内義彦会長、俳優の高島忠夫、作曲家のキダタロー。所在地は西宮市上ケ原一番町1の155。澄田新部長。
兵庫大会
優勝 | 参加校 | 組み合わせ表 | 春季大会優勝校 | 昨夏代表校 |
---|---|---|---|---|
関西学院 (70年ぶり7度目) |
164校 (前年比+1) |
5回戦以降[PDF] 4回戦まで[PDF] |
育英 | 報徳学園 加古川北 |
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