東東京大会 優勝記事
関東一が劇的勝利で2年ぶり優勝/東東京大会
- 9回裏関東一無死満塁、サヨナラ適時打を放った関東一・宮下は歓喜のガッツポーズ。右はリリーフした須郷(撮影・狩俣裕三)
- Vへの足跡
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関東一Vへの足跡 3回戦 10-3 岩倉 4回戦 2-0 雪谷 5回戦 13-2 東京実 準々決勝 3-1 安田学園 準決勝 10-3 成立 決勝 6-5 修徳
<高校野球東東京大会:関東一6-5修徳>◇7月27日◇決勝
関東一がミラクルで甲子園出場を決めた。4点を追う7回からジワリジワリと反撃を開始し、9回に3点を入れて劇的な逆転サヨナラ勝ちで修徳を下し、2年ぶりに東東京を制覇。
同点に追いついた9回裏、無死満塁で関東一の主砲宮下明大三塁手(3年)は打席に入る前から泣いている。「決めるのは、おれしかいない」と、強い気持ちだった。米沢貴光監督(34)もナインも「絶対、宮下が打ってくれる」と信じていた。修徳3番手の須郷貴裕投手(3年)の投じた2球目、外角低めの直球を強振すると遊撃手のグラブをかすめて決勝の中前打となった。「やったー、勝ったー」。全員が大声を上げながらベンチを飛び出し、本塁方向へダッシュする。同点打を放った三塁走者の山下幸輝二塁手(3年)が打球の行方を見届けてからゆっくりとホームに到達し歓喜の輪ができた。
以前は負けん気ばかりが強い「やんちゃ坊主」の集まりで、「おれが、おれが」のチームだった。昨秋都大会は2回戦で日大鶴ケ丘に3-5で敗れた。落ち込むナインに米沢監督は、グラウンドや寮の清掃などをさせて「打てなかったら守りで貢献しよう。打てなくてもチームが勝てばいいんだ」と根気強く諭してきた。
大会中、ある騒動があった。15日、岩倉との3回戦。三振した宮下が悔しさのあまりバットをたたきつけるシーンがあった。その行為に怒った観客が試合後のロッカールームに乗り込む場面もあったが、米沢監督は「私の責任です。ちゃんと教育しますから」と、頭を下げてその場を収めた。かばってくれた同監督のためにも優勝するしかないと、ナインは一丸となった。
閉会式が終わると、応援席前で歓喜の胴上げが始まった。大柄な米沢監督は、あまり高く上がらなかった。主将の本間は「3年間の監督の思いが詰まっていて重たかった」と真顔で驚いていた。帝京が大本命だった東東京を勝ち抜き、全国の舞台に立つ。【茶木哲】
[2010年7月28日 紙面から]
◆関東一 1925年(大正14)創立の私立校。生徒数は1740人(うち女子551人)進学コース、スポーツコースなどがある。野球部は27年(昭2)創部。部員数は66人。甲子園は春3度、夏は4度出場。主なOBは日本ハム武田勝、須藤元気(元総合格闘家)。所在地は東京都江戸川区松島2の10の11。中村孝徳校長。
東東京大会
優勝 | 参加校 | 組み合わせ表 | 春季大会優勝校 | 昨夏代表校 |
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関東一 (2年ぶり15回目) |
144校 | ダウンロード[PDF] | 日大鶴ケ丘 | 帝京 |
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