日刊スポーツ評論家陣が「私のベストゲーム」を振り返るオフ企画「復刻! パ・リーグ伝説」の第2弾は、今年からニッカン復帰の元近鉄梨田昌孝氏(65)です。梨田氏が挙げたのは、リーグを代表する名捕手が打撃でも存在感を示した1980年(昭55)10月8日の西武-近鉄12回戦(西武)。先発の松沼雅之からの先制3ランは、亡き人が力を貸してくれた豪弾でした。【取材・構成=堀まどか】

 

劇的な勝負強さこそ、梨田昌孝の真骨頂だった。現役最後のヒットは、88年10月19日対ロッテダブルヘッダー第1戦。球史に残る「10・19」(※注1)の激闘の1戦目で代打梨田は9回に決勝打を放ち、日本中のプロ野球ファンが注目した第2戦につなげた。負ければ優勝への夢が終わる瀬戸際での殊勲打を、梨田は8年前にも経験していた。

梨田 1980年10月8日の西武戦。オトマツ(松沼雅)からバックスクリーンの横に先制3ランを打ったんです。僕なんてパンチ力のある打者じゃなかったけど、西武球場のバックスクリーンの横に弾丸ライナーで持って行ったんです。

0-0で迎えた2回2死一、二塁。そこで出た1発は、打った本人が驚く豪弾だった。

梨田 打った瞬間、抜けたな! とは思った。でも、入るとは思わなかった。かなり低い打球だったんです。弾丸ライナーで飛び込んで行きました。

4万人の大観衆の前での、値千金の15号先制弾だった。80年の後期は大詰めに来て、2ゲーム差の中に近鉄、日本ハム、西武、ロッテがひしめく大混戦。10月5日にロッテが脱落し、日本ハムが優勝に王手をかけた。引き分けでもリーグ制覇が決まる「マジック1」の状況だった。

一方、近鉄は残り3試合全勝が絶対条件だった。10月7日、満員札止めの相手本拠地・後楽園で、日本ハムに勝った。残る2試合の相手は、優勝を争う西武。有利な立場にいたのは、やはり日本ハムだった。

梨田 あと2試合で1勝1敗なら、ハムが優勝でした。

連勝するしかない状況で、梨田の一撃が流れを引き寄せた。10月8日は、力投する井本隆をリードでも支え、5-1で快勝。同11日の最終戦は、近鉄の本拠地・藤井寺が舞台だった。今度はバファローズファンがスタンドを埋め尽くした。満員札止め、3万2000人の観衆が見守る前で、先発のエース鈴木啓示は3回に蓬莱昭彦に先制の2号3ランを浴びる。8日と正反対の劣勢を、今度は石渡茂の1発からひっくり返した。0-3の5回、先頭・石渡の8号ソロから打線が勢いづき、チャーリー・マニエルの逆転48号2ラン、栗橋茂の28号ソロなどで一挙6点。後半も石渡の2打席連続9号などで着々と加点し、10-4と圧勝した。1敗も出来ない状況からの、大逆転優勝だった。

梨田 ものすごいプレッシャーがあったし、本当のプレッシャーの中で戦えたな、ということはすごく実感している。そういう経験が「10・19」につながったり、近鉄の監督時代の北川の満塁ホームラン(※注2)とか、日本ハムの監督時代のスレッジのホームラン(※注3)につながっている気はします。ぼくにとっての思い出のホームランって、ここで出たらなと思うときにすごい夢を見させてもらえる結果になる。

打っただけではない。梨田には、相手打線を抑えた喜びもあった。

梨田 キャッチャーって、最後の最後まで絶対にあきらめたらいけない。安心したらいけない。

当時の近鉄にはリーグを代表する名捕手がもう1人いた。有田修三が前日7日の日本ハム戦でソロを打っていた。

「昨日は有田さんがホームランを打ったし、きょうは僕が…。近鉄には2人もいいキャッチャーがいる、と言われるのがうれしいんです」。負けん気と誇らしさが、8日の梨田のコメントににじむ。会心の結果に加え、梨田には「10月8日」への思い入れがあった。

梨田 おやじの命日です。ぼくが中学3年生のときに亡くなったから、西本さんがおやじみたいなものやったけど、自分の中ではうれしかったんです。バックスクリーンの横へ弾丸ライナー打つなんて、普段の自分ではなかなか出来ることではないけど、あのとき、まるで神風のような風が吹いた。おやじが神風吹かせてくれたのかなと、思ったんです。

「逆転優勝するとすれば、奇跡だろう」と死力を尽くして日本ハム、西武との決戦に臨んだ“育ての父”西本幸雄が、ベンチにいた。血肉を分けた父豊は、魂となって西武球場のどこかにいた。そして、風を送ってくれたのだ。(敬称略)

 

◆梨田昌孝(なしだ・まさたか)1953年(昭28)8月4日、島根県生まれ。浜田から71年ドラフト2位で近鉄入団。捕手としてベストナイン3度、ダイヤモンドグラブ賞4度。88年に引退し、93年にコーチで近鉄復帰。00年に監督に就任し、翌01年リーグ優勝。04年、近鉄球団消滅とともにユニホームを脱いだ。08年から日本ハムを率い、09年リーグV。11年に勇退し、16年から18年途中まで楽天の監督を務めた。

 

◆注1 1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテ対近鉄のダブルヘッダーを指す。先に全日程を終了していた西武に対し、近鉄は連勝すれば優勝。1戦目は9回に代打梨田の決勝打で4-3で勝ったが、2戦目は延長10回、4-4で引き分けて優勝を逃した。当時は延長戦の際、4時間を超えた場合はそのイニングをもって終了の規定があり、延長10回裏ロッテ攻撃中にタイムオーバー。優勝の可能性が消滅した。

 

◆注2 01年9月26日の近鉄-オリックス26回戦(大阪ドーム)で、優勝までマジック1としていた近鉄は2-5と3点を追う展開で9回裏の攻撃を迎えた。先頭・吉岡雄二の左前打から無死満塁の好機をつくり、代打の北川博敏が相手守護神の大久保勝信から代打逆転サヨナラ満塁弾。史上初の劇弾で、リーグ優勝を決めた。

 

◆注3 09年パ・リーグのクライマックスシリーズは、2年ぶりに優勝した日本ハムとリーグ2位の楽天が札幌ドームで対戦。第1戦、4-8で9回裏を迎えた日本ハムは、田中賢介からの3連打で1点を返し、なおも四球で1死満塁の絶好機を迎えた。ここでターメル・スレッジが福盛和男から「史上最高の1打」と言われる逆転サヨナラ満塁弾を放ち、9-8の劇的勝利。日本シリーズへの流れを引き寄せた。