◆「空の都」時代(東地区<1>)

1923年(大12)9月に起きた関東大震災では、飛行第五大隊が帝都偵察や連絡飛行に活躍したのみならず、飛行場も東京市街地との中継地として活躍した。東京市内にあった飛行学校も、協力している。

震災復興と第1次世界大戦後の世界的軍縮を受けた世にいう宇垣軍縮期、25年5月に飛行第五大隊は飛行第五連隊に改称された。同時にそれまでの偵察連隊(三個中隊編成)から、戦闘機隊をあわせ持った偵戦連隊(同)に改編された。ただ、この改編は運用経費がかかったことから、昭和に入って偵察連隊(四個中隊編成、ただし第四中隊は欠)に再び改編された。

同じ昭和になって、24年に東京・月島に設立された石川島飛行機製作所(のちの立川飛行機)が、飛行第五連隊の北側に工場を設け、自主設計機を試作しはじめた。この自主設計機の中に練習機があり、これがのちの九五式一型練習機(通称・赤とんぼ)につながっていく。

28年(昭3)の冬に昭和天皇の即位を祝う御大典飛行があり、立川飛行場から八十余機が離陸して会場の代々木練兵場上空を目指した。埼玉・所沢からの機と合わせて、150機を超える大編隊だった。