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空を航る

空を航る

横川裕一氏が全国の航空ファンに送る連載。新潟・上越市生まれ、現在は東京在住の航空愛好家。小学4年以来の飛行機好きで、航空マニアの間では一目置かれる存在だ。

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2008年5月撮影の立川飛行場(国土地理院ウェブサイトの航空写真)。中央に走る南北道路が昔の飛行場のほぼ中心

◆返還から現在まで米軍の飛行活動停止後も立川はその後方支援施設として使用されていたが、1973年(昭48)1月に全面返還が発表され、77年11月末日をもって返還に至った。返還後の立川飛行…[]

2020年4月開業の立川新街区「グリーンスプリングス」に展示されているR-HM(6月筆者撮影)

◆航空再開太平洋戦争の終結から、日本は航空全般を禁止され、造ることも飛ばすことも禁止された。従業員4万2000人余の一大メーカーであった立川飛行機もほとんどの工場が接収され、賠償工場にも…[]

立川飛行場における米空軍のC-54(DC-4旅客機の軍用型)。旧・飛行第五連隊の格納庫や連隊本部が背景に見える

◆開戦から終戦、返還直前まで1941年(昭16)12月8日の太平洋戦争の開戦を経て、立川飛行場周辺の航空関連製造工場や陸軍航空工廠(こうしょう)が戦争終盤に爆撃目標となり、45年2月以降…[]

1941年6月、陸軍が撮影した立川飛行場。国土地理院の空中写真C23―C7―141~143の3枚を張り合わせている。左の囲みが陸軍航空工廠、右が立川飛行機

◆軍事拠点へ1938年(昭13)8月、飛行第五連隊は飛行第五戦隊に改編され、11月から千葉県柏への転営を開始した。残っていた航空第四教育隊も40年に柏に移った。飛行第五戦隊と入れ替わりに…[]

1933年5月、昭和天皇行幸の際の天覧飛行の様子

◆羽田開場を経て1931年(昭6)8月に羽田飛行場が開場し、日本航空輸送(株)や東京日日新聞社は退去したが、西地区の飛行学校や学生航空、朝日新聞社は33年9月までの約2年間、立川にとどま…[]



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