西日本豪雨は9日までに各地で被害が拡大し、死者は12府県で計126人に上った。安否不明者も岡山県倉敷市や広島市などで大幅に増えて6府県86人となり、死者・行方不明者299人を出した1982年(昭57)の長崎大水害以降、平成で最悪の被害となった。

 民家が土砂とともに横倒しになり、屋根がこちらを向いていた。1階2階が消失、屋根だけが残る家もあった。

 記録的な大雨により、甚大な被害が出ている広島県。土砂崩れなどの被害が出た熊野町川角では9日も、不明者の捜索が続いた。町によると1人の死亡が確認され、子どもなど12人が安否不明。消防によると9日昼ごろには新たに3人が心肺停止の状態で見つかった。自衛隊などは手にスコップを持ち、約200人態勢で必死にがれきや土砂をかき分けた。

 「人命救助が最優先」として、6日夜の発生から2日間は手掘りで作業が行われていたが、生存率が急激に下がるとされる発生72時間の“リミット”を前に、この日からは重機なども投入された。がれきなどを運ぶトラックが、間断なく現場へ出入り。いまだ山から現場に水が流れ、道路脇に積まれた土砂には、原形をとどめない車が多く残り、泥まみれの3輪車や絵本なども土砂に埋もれていた。

 その現場からほど近い、120人が避難する町民体育館では、発生から3日が経過したこの日も、「良かったー」と涙を流しながら抱き合い、無事を確認し合う姿が多く見られた。

 災害の発生現場近くに住む岸本忠義さん(82)は「(生きるために)一生懸命だった」と当時の緊迫した状況を話した。6日午後8時30分ごろ、土砂崩れが起こったといい、入浴中だった岸本さんは「『ゴー』という音がして、浴室の扉が開かなくなった」。家に流れ込んだ土砂で浴室に閉じ込められたという岸本さんは、自力で扉を開け、泥だらけになりながらはだしで裏口から外に逃げ、避難所に向かったと話した。

 今日も午前7時から、捜索が続けられる。一刻も早い、行方不明者の発見が待たれる。【奥田隼人】