立行司の39代木村庄之助(64=九重)が、定年の記者会見を行った。10月30日に65歳の誕生日を迎えるため、その前日をもって日本相撲協会を退職。本場所は9月の秋場所が最後で、この日は明治神宮での横綱土俵入りと全日本力士選士権が装束を着る最後の仕事になった。

16歳だった1977年九州場所で初土俵を踏んでから49年。定年を迎える実感については、「まだ実感がわいてないという状態です。今日終わってから、巡業に行く人はみんなバスに乗って巡業地に行くんですけど、私はうちに帰る。そのころには実感がわいてくると思います」とした。

2000年春場所から、番付書きの助手を務めた。2007年九州場所から戦後7人目の番付の書き手となり、2023年初場所まで務めた。書き手を務めた15年以上の間、自宅にこもって1日8時間を費やし、2週間かけて書き上げ続けた。

「私の場合、どちらかというと、土俵に立って人前に出るよりは、こもってコツコツやる方が性に合っていたので、楽しいというほどではないですけど、気持ちを集中させてやってきました」。

裏方として、主役は力士であるという考え方を貫いてきた。秋場所千秋楽、結びの一番を合わせた後、花道を引き揚げる際、観客からの花束は受け取らなかった。「花道ではそういうことをしないようにと、協会からも注意があります。私の考えですが、花道は力士が喜びや悔しさをを抱きながら引き上げるところだと思います。そういうところで花束を受け取るのはいかがなものかと思いまして、受け取りませんでした。花束を持ってきた方にはちょっと不快な思いをさせてしまったかもしれませんが、ご理解願えたらと思います」。

装束はすべて後輩に譲ったり、縁のあるところに寄贈したりするため、手元には何も残さない。11月の九州場所からは、式守伊之助が木村庄之助に、木村晃之助が式守伊之助に昇進することが決まり、立行司2人は途切れることなく大相撲は進む。

庄之助は「立行司の庄之助と伊之助がそろっていることは、私たちにとっても大事なこと。11月場所からその体制でいくことは非常にありがたく思ってますし、私も安心して引退できます」と協会の決定に感謝していた。【佐々木一郎】

◆木村庄之助(きむら・しょうのすけ)本名・洞澤裕司。1961年(昭和36年)10月30日生まれ、東京都府中市出身。元横綱北の富士の井筒親方に「行司になりたい」と手紙を書いて入門。16歳だった1977年九州場所初土俵。2000年春場所から、番付の書き手の助手を務めた。2007年九州場所から戦後7人目の番付の書き手となり、2023年初場所まで務めた。2024年秋場所から42代式守伊之助、2025年初場所から39代木村庄之助を襲名した。