京都市左京区の世界遺産「賀茂御祖神社(下鴨神社)」も日本ラグビーの聖地だ。1910年(明43)に同神社内「雑太(さわた)社」前の糺(ただす)の森馬場で、旧制第三高等学校(現京大)の学生が慶応義塾(現慶大)の学生からラグビーを習った。雑太社の真横には「第一蹴の地」の石碑があり、日本ラグビー発展の地は世界のファンを出迎える。

紀元前90年の記録が残る下鴨神社の参道に、縄文時代から生き続ける広さ12万4000平方メートルの「糺の森」がある。17年5月10日、夜にワールドカップ(W杯)日本大会抽選会を控えた参加国のヘッドコーチは、この緑豊かな森に集った。「第一蹴の地」の石碑前で日本伝統の蹴鞠(けまり)を体験。案内役を担った関西協会の坂田好弘会長(76)は「日本ラグビー発展の地を受け継いでいくことが、日本でW杯をやったレガシー(遺産)につながる」と意義を強調した。

かつては関係者さえも知らない「聖地」だった。1910年(明43)9月10日、下鴨神社近くで下宿をしていた旧制三高の堀江卯吉ら4人は、糺の森で堀江の親戚だった慶応の真島進にラグビーを習った。当時の慶応には国内唯一のラグビー部があり、部員たちは横浜居留の外国人と練習。そのため翌11年に行われた旧制三高と慶応の対戦は、日本人同士初の正式な試合となった。1969年(昭44)には旧制三高OBが「第一蹴の地」と記された石碑を建立。だが、時がたつと石碑の周りは雑草に覆われ、参拝客が足を止めることもなくなっていた。

下鴨神社にも転機があった。「雑太社」は第2次世界大戦の影響も受け、昭和20年代に解体。しかし21年に1度、10カ年計画で社殿を修復する「式年遷宮」が2015年に到来し、その一環で「雑太社」の再興が計画されていた。17年のW杯抽選会時には仮の社だったが、社殿の完成を経て、同年11月には神魂命(かんたまのみこと)を雑太社に戻す遷座祭が行われた。偶然がW杯前のタイミングで重なり、下鴨神社の権禰宜(ごんねぎ)である京條寛樹さん(40)は「本当にラグビーの神様が導いてくれたのではないでしょうか」と感慨深げに振り返った。

W杯が近づき、雑太社の認知度も上がってきた。18年にはラグビーボール型の鈴が奉納され、絵馬には全国各地から訪れる老若男女の「W杯が成功しますように」「全国大会に出られますように」といった願いが記されている。12年に国際ラグビー殿堂入りした坂田会長は「02年のサッカーW杯日韓大会では全国各地に専用のスタジアムができた。でも、今回のW杯で新設されたのは1つ(釜石鵜住居復興スタジアム)。だからこそ全世界のラグビーファンが立ち寄る場所になり、将来の子どもたちが日本でW杯があったことを知ってほしい」と強く願った。

17年からはタグラグビーの「下鴨神社杯」が新設され、多くの子どもたちが糺の森に集う。京條さんは「ラグビーは試合後にアフターマッチファンクションがあり、選手らが交流する。下鴨神社のお祭りでも行列に出てくださった方が、直会(なおらい)でお供え物をいただきながら、地域の人たちがつながる。これは私の勝手な考えですが、親和性があると思うんです」。歴史と新しさが共存するラグビーの名所は、世界中の人をつなぎ、日本の文化を伝えていく。【松本航】

6月17日、W杯優勝国に贈られるエリスカップの前で記念撮影する坂田関西協会会長(左)と元日本代表の元木アンバサダー
6月17日、W杯優勝国に贈られるエリスカップの前で記念撮影する坂田関西協会会長(左)と元日本代表の元木アンバサダー