算数ドリルに宇宙でのパラパラ漫画-。2020大会組織委員会の天野春果氏(47)は、ユニークな企画で東京大会を盛り上げる。J1川崎フロンターレの元プロモーション部長。バナナを売り、スタジアムにフォーミュラカーを走らせて市民に愛されるクラブ作りに奔走したアイデアマンが、今度は2年後の東京オリンピック・パラリンピックに全力を注ぐ。Jリーグから五輪へ、川崎市から世界へ、夢あふれる挑戦を続ける天野氏に聞いた。【取材・構成=荻島弘一】


インタビューに答える東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の天野春果イノベーション推進室エンゲージメント企画担当部長(撮影・野上伸悟)
インタビューに答える東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の天野春果イノベーション推進室エンゲージメント企画担当部長(撮影・野上伸悟)

 --算数ドリルを使った実践授業(4月12日)は、子どもたちも大喜びでした

 天野 19年に本格導入するために、今年モデルエリアで存在を示したかった。オリンピアンが実際に参加してくれ、メディアも取り上げてくれたことで、いい成功例になるんです。

 --川崎Fでの算数ドリルも大成功でしたね

 天野 サポーターからすれば「焼き増しじゃん」と思うかも。でも、理由があるんです。昨年4月に組織委員会に来て、時間がなかった。期間内に形にするには自分のネットワークやアイデアをオリンピックバージョンでやらないと。同じことをやっても仕方ないけれど、今あるものを進化させることも必要です。

 --川崎市相手と違って苦労があったのでは

 天野 リアルに20倍大変でした。前は監督とクラブと教育委員会と(中村)憲剛に言えばできたけど、ここでは関係している人の数が尋常じゃない。33競技で339種目もあるし。形のないものに賛同してもらうのは大変なんです。

 --モデルの選手集めも苦労しましたか

 天野 オリンピアン、パラリンピアンを起用することは必須でした。でも、ツテがない。(全日本柔道連盟理事の)田辺陽子さんが高校(都立駒場)の先輩だったので、連絡して会ってもらって、そこから松本薫さんと阿部選手に協力してもらった。競泳の入江くんは(川崎F・DF)武岡が仲よかったので、彼に連絡してもらいました。

 --喜んだ子どもが家に帰って親に報告する。そうやって、広がりますね

 天野 社会性が大事なんです。使用済みの携帯電話などでメダルを作るプロジェクトは、いい企画だと思います。ただ、同じように社会性のあるものがもう1つぐらいあってもと思っていました。算数ドリルが、そうなればいいですね。


 --組織委に来たのは川崎Fでの手腕が買われて?

 天野 いえ、まったく違います。どうしても、オリンピックを作る仕事をしたかった。96年のアトランタ大会でボランティアをしたんです。2カ月ぐらい住んで、こんなに街が盛り上がるのかと思った。それで、大会を作りたいと。

 --五輪が好きなのですね

 天野 98年長野大会もバイアスロン会場で競技役員をしました。02年のW杯はチーム付き。最後は優勝したブラジルに付いて、ウイニングランも一緒にしました。競技者は無理でも、スタッフでグランドスラムを目指そうと思ったんです。

 --そこに、東京大会の開催が決まった

 天野 やるしかないと。(川崎Fの親会社)富士通からの出向で来ました。最初は経験のあるボランティア関係でと思ったけれど、入る時にイノベーション推進室のことを聞いて「ここじゃん」と思ってボランティアから変えてもらいました。

 --クラブと組織委員会ではずいぶん違いましたか

 天野 フロンターレは民間だし、Jの中でも一番緩いクラブの1つ。その中でも緩くやっていたので。組織も大きいし、最初はびびりました。僕が何か言っても通じない。「宇宙人」だと思われてますよ。ただ、志は高い部署。優秀な人も多く、発想も豊か。そういう人と知り合えるのは大きいですね。


 --イノベーション推進室エンゲージメント企画部長という役職ですけれど、どんな意味なんですか

 天野 推進室は昨年4月に事務総長直轄の組織としてできたんですが、何でしょうね。よく分からないんです。横文字ばかりだし、すぐアルファベット3文字に略す。ついていくのが大変です。

 --天野さんにとって「イノベーション」とは

 天野 例えばリオでの東京への引き継ぎ式。安倍さんがマリオで出てきた。日本というと伝統芸能、着物で。でも、あの時はポップカルチャーとかアニメを前面に押し出して意外性があった。イノベーションってITとかテクノロジーとか言われるけど、僕からすれば「great」と一緒。エンゲージメントは「ワクワク」「ドキドキ」。あっと言わせるすごいことをして、ワクワク、ドキドキ感を生むってことです。

 --あと2年何をして、どんな大会にしたいですか

 天野 今月には宇宙もの第2弾を発表します。その後もアイデアはあります。あとは、それをどう形にするか。みんなが面白いと思えて、競技以外でも一生の記憶に残る大会にしたい。始まれば17日間、パラを合わせても30日間。だからこそ、始まるまでの2年あまりが勝負です。でも、本当に大事なのは大会後。2020年をきっかけに、この国をスポーツでもっと幸せにするのが僕の夢です。


 ◆天野春果(あまの・はるか)1971年(昭46)4月17日、東京都生まれ。都立駒場高から米ワシントン州立大に進み、帰国後の97年に富士通川崎フットボールクラブ(現川崎F)に入社。ホームタウン推進室でクラブの地域密着に取り組む。01年にW杯日韓大会組織委員会に出向し、02年W杯後に川崎F復帰。プロモーション部長として数々のヒット企画を生み出す。昨年4月に2020年東京大会組織委員会に出向。


2009年4月、川崎市立上丸子小学校と協同で制作した「川崎フロンターレ算数ドリル」 
2009年4月、川崎市立上丸子小学校と協同で制作した「川崎フロンターレ算数ドリル」 

■中村憲剛「選手にいろんな役割あると教わった」

 川崎FのMF中村憲剛 (天野氏から)プロサッカー選手としてどうあるべきかというマインドを教えてもらいました。ただサッカーをやるだけがスポーツ選手の仕事ではなくいろんな役割があると。

 彼には「スポーツでみんなが笑顔に」という信念が根底にあります。五輪の組織委員会はJクラブの組織と規模は違いますが、その信念に組織の大小は関係ないと思います。東京、日本を盛り上げてみんなが五輪を楽しむ環境づくりをしようとしている。天野さんにはそこに期待しています。

 生きているうちに自分の国で五輪が開催されるのはすごいこと。目の前で五輪を見ることはなかなかないし、子供たちにも夢を与えると思います。自分の子供にも体感させてあげたいですね。みんなでいい準備をして、全世界の人たちが「五輪って素晴らしい、スポーツは素晴らしい」という大会になってほしいと思います。