スノーボードクロス男子下肢障害で世界ランキング1位の成田緑夢(24=近畿医療専門学校)が銅メダルを獲得した。今大会から単独した同競技で日本選手初のメダル。「成田3きょうだい」の末っ子は、学生時代のスパルタ教育と努力で世界トップクラスまで上り詰めた。

 完全燃焼した。気温上昇に伴い、全長約925メートルのコースは荒れていた。準決勝は転倒したが、3位決定戦は違った。14年ソチ大会王者のストロング(米国)相手に持ち味の「先行逃げ切り」で、同競技日本初のメダルを獲得。「シンプルにうれしい。前大会のトップ選手とも争えて、完璧な銅メダル。興奮や雰囲気など普通の大会とは違い、これがパラリンピックかと思った」と感情を高ぶらせた。

 父隆史さん(68)の「スパルタ指導」が今に生きた。小学校時代は兄童夢(どうむ)、姉夢露(めろ)と布団でバック宙を10回した後に朝食を取るのが日課。学校から帰ると、自宅屋上のトランポリンで父考案の“鬼メニュー”をこなした。「『巨人の星』の星一徹みたいだった。僕らは父に操作されていたマシンみたいで普通の小学生になりたかった」と激白した。

 スパルタ指導と努力のかいがあって、才能は開花。フリースタイルスキーで14年ソチ五輪を目指した13年4月、練習中の事故で左膝から下にまひが残った。完治しない中、父に強引に勧められて14年1月のワールドカップ(W杯)に強行出場。帰国後「20年ありがとうございました」と言って家を出た。

 「パラリンピックに出場して感動や希望を与えたい」。こう目標を掲げてパラスノーボードに挑戦することを決意した。スポンサー探しやSNSでの情報発信を積極的に行った。1カ月単位で自身と「誓約書」を結び、守れない場合は大嫌いな丸坊主にする内容を盛り込んだ。成田は言う。「父のスパルタ教育があって今がある。父の存在は大きいし、感謝の気持ちもある」。記録よりも「記憶」を大切にする24歳。16日のバンクドスラロームに向けては「挑戦するだけ」と言った。【峯岸佑樹】

 ◆成田緑夢(なりた・ぐりむ)1994年(平6)2月1日、大阪市生まれ。13年3月フリースタイルスキー・ハーフパイプで世界ジュニア選手権優勝。同年4月に練習中の事故で夏冬二刀流パラアスリートになる。スノーボード・バンクドスラロームで17年世界選手権3位。世界ランキング1位。兄童夢と姉メロは06年トリノ五輪スノーボード代表。173センチ、63キロ。血液型AB。