【白球はひとつ〈1〉】国籍を日本に変えても「在日韓国人」として歩む森本稀哲の人生

「もし悩んでいる人がいれば『君たちは、何も悪くない』と言いたい。両親の出会いがあったからこそ、日本で生まれた。何も引け目を感じることはない。いつか、現状をしっかりと受け入れられる日が来る。何か言われるんであれば、その人が、理解できていないんだと思えばいい」――森本稀哲

(2016年7月20日掲載、所属、年齢などは当時)

その他野球

「白球は1つ」と題し、昨季限りで現役を引退した森本稀哲氏(35=元日本ハム外野手)の半生を送ります。野球に魅入られ、国籍を日本に変えても「在日韓国人」として人生をささげる。さまざまなハードルを飛び越えた先で見るモノとは―。

森本稀哲氏

森本稀哲氏

1年で朝鮮学校を転校

凜(りん)とした空気は、のどかな昼下がりの横浜には少し似合わなかった。

ツーピースのスーツで現れた森本は、喫茶店のいすに頼らず、ピンと背を伸ばして取材を通した。現役時代にファンを魅了した明るさはない。じっと目を見て、努めて淡々と切り出した。

「僕は、何回か名前が変わっているんです。保育園の時は森本だったのかな? 小学校は森本で入って、途中で李になったのかな。中学校は李。野球のときは森本。名前はね、稀哲って『ひちょり』ではなく『ひちょる』なんです。だから、李ひちょる。韓国語って、発音の関係で崩した呼び方があって。そのまま名前で使っています」

森本と李。2つの名前は本人の意思というよりも、親の葛藤の歴史だった。「おじいちゃん、おばあさんが韓国で生まれ、両親は日本で。僕は3世。家族での話し合いもありましたね。『韓国人でちゃんといこう』とか」。森本は朝鮮学校に入学し、1年で転校している。父は朝鮮大学を卒業している。わが子にとってのベストとは何なのか。全員で模索していた。

1998年7月、東東京大会決勝の二松学舎大付戦で帝京の森本稀哲(右上)は投手の安倍宏嗣に抱き付く

1998年7月、東東京大会決勝の二松学舎大付戦で帝京の森本稀哲(右上)は投手の安倍宏嗣に抱き付く

転校先の友人は自分を受け入れてくれた。野球に出会ったのは4年生のとき。「うれしかったですね。差別する人が、あまりいなかった。朝鮮系ってサッカーなんですけど、友達に誘われました。『やろうよ』って、声をかけてくれました」。すぐにのめり込んだ。

「野球をやっているときは、何もないんですよね…。本当に。試合になって1つのボールが動き出したら、後はそこに集中できる。野球は、国籍に関係なくできる」

1999年入社。整理部―2004年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)―巨人―楽天―巨人。
遊軍、デスクを経て、現在はデジタル戦略室勤務。
好きな取材対象は投手、職人、年の離れた人生の先輩。好きな題材は野球を通した人間関係、カテゴリーはコラム。
趣味は朝サウナ、子どもと遊ぶこと、PUNPEEを聴くこと。