松井秀喜の指導論〈5〉マイナーの現場から~「振って、振って、振って覚えろと」
指導者・松井秀喜の原点は。ミスターと、素振りの音で交わした「会話」から得た学びを振り返りました。(2016年11月6日掲載。年齢、所属などは当時)
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★生涯忘れぬ礎 長嶋監督との日々
日米両球界で大活躍したとはいえ、松井秀喜氏(42)は一夜でスターの座に上り詰めたわけではない。
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巨人時代のプロ1年目、当時の長嶋茂雄監督から「開幕2軍」を通告された際には「落としたことを後悔させたい」と悔しさを見せたこともあった。厳しくも、愛情あふれる指導で松井氏を鍛え抜いた長嶋氏の影響とは―。師の教えは、愛弟子にどのように受け継がれているのだろうか。
1993年。星稜(石川)から鳴り物入りで巨人入りした松井氏に対し、長嶋監督は「4番1000日計画」を公言した。
球界の盟主たる巨人の4番の座は、与えられるものではなく、自ら奪い取るもの―。実際、長嶋監督はオープン戦で結果を出せなかった松井氏に「開幕2軍」を命じた。
昇格後も、苦にした左投手の場面では代打を出すなど、厳しい姿勢を貫いた。
そんな長嶋監督の英才教育が、松井氏の礎になったことは疑いようがない。技術だけでなく、考える習慣を指導するのは、周囲が想像するほど簡単ではない。
「自分の経験上として、それは必要不可欠だと思います。自分で考えて、自分で作り上げていかなければと思います。今の自分に何が必要か、そこに気が付くこと。気付いて、どう克服するか。どう壁を乗り越えるか、ということは、自分の考え方、自分のやろうとする意思でしょうね」
若手が成長していく過程では、必ずうまくいかない時がある。そんな苦しい時期を支えてくれたのが、偉大な先人たちだった。
「自分1人でも、他人から(教えを)もらうばかりでも成長できない。自分もいろんな人にもらってきたし、長嶋監督、チームメートの落合(博満)さんとか、そういう人を見て、何がいいのか、何が必要なのかを見て学びました」
巨人時代、東京、遠征先を問わず長嶋監督から呼び出され、黙々と素振りを繰り返した逸話は有名。2人のスーパースターは、バットの「音」で会話した。
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