【入手】横浜高「小倉note」 平成中期の高校野球を牽引した魂データ/連載Ⅰ

その存在は、担当記者の時から知っていた。高校球界では有名だった。渡辺元智元監督(78)の力は言うまでもないが、横浜高校の強さを説明する上で欠かせないのが、元部長、小倉清一郎氏(78)の存在だ。その調査力、分析力、そして何より、部員に戦術を伝え実践させる指導力が秀逸、と周囲は口をそろえた。今でこそ「データ野球」は広く普及しているが、2003年(平15)当時はまだ異例の取り組みだった。名門チームの一時代を築いた、秘密のノートにスポットを当てる。

高校野球

◆小倉清一郎(おぐら・きよいちろう)1944年(昭19)6月16日生まれ。横浜市出身。横浜―東農大を経て三菱自動車などで活躍。引退後は東海大一(現東海大翔洋=静岡)の監督を4年間務め、77年に横浜コーチに就任。翌年に横浜商に移り、83年の春夏連続甲子園準優勝に貢献した。横浜部長には92年就任。10年からコーチを務め14年に勇退した。

魂のこもった手書きのメモを、一言一句ご堪能ください。スマートフォンでご覧の方は、ぜひノートの写真をタップ、拡大してみてください!

2冊のキャンパスノート

久しぶりに横浜高のグラウンドを訪ねた。糖尿病で25キロもやせたというが、照れくさそうな表情は昔のままだった。

小倉氏は、関係者が保管していた03年~04年にかけてのノートを2冊持ってきてくれた。そして懐かしそうにページをめくりはじめた。

「小倉ノート」から一部を抜粋。相手スタメンの特徴、得意と不得手のコース、打球方向と守備位置のポイントが網羅されている。驚くのは、すべての実戦で同じ作業を完遂したこと。取りこぼしのないよう、県予選の初戦からフルカバーしている

「小倉ノート」から一部を抜粋。相手スタメンの特徴、得意と不得手のコース、打球方向と守備位置のポイントが網羅されている。驚くのは、すべての実戦で同じ作業を完遂したこと。取りこぼしのないよう、県予選の初戦からフルカバーしている

「あの頃は偵察に行って、ビデオをとって、帰ってから寝ないで分析していた。大変でした」

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1990年入社。アマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏、2006年夏の甲子園を制した早実・斎藤佑樹氏など取材。
プロ野球ではロッテ・バレンタイン監督解任騒動。DeNAの球界参入から中畑清初代監督フィーバーなど担当。
ストレス発散は1人カラオケ(ミスチル縛り)とゴルフ。