【石川雄洋が語る】「マジで細かい」小倉ノート 色あせぬ芸術作品を傑作選で/連載Ⅴ

元横浜高野球部部長の小倉清一郎氏(78)が残した「小倉ノート」。薫陶を受けた選手たちが、プロに進んでもその恩恵を受けて活躍しました。横浜、DeNAでプレーした石川雄洋氏(36)もその1人。当時を振り返ってもらいました。試合の軽重に関係なく、いつも相手を全力で分析した小倉さん。分厚いノートからの傑作選も、連載の最終回にあわせてピックアップします。

高校野球

◆小倉清一郎(おぐら・きよいちろう)1944年(昭19)6月16日生まれ。横浜市出身。横浜―東農大を経て三菱自動車などで活躍。引退後は東海大一(現東海大翔洋=静岡)の監督を4年間務め、77年に横浜コーチに就任。翌年に横浜商に移り、83年の春夏連続甲子園準優勝に貢献した。横浜部長には92年就任。10年からコーチを務め14年に勇退した。


◆石川雄洋(いしかわ・たけひろ)1986年(昭61)7月10日、静岡県生まれ。清水南中から横浜高に進学。横浜高時代は涌井(現楽天)と同学年。甲子園では2年春準優勝、3年夏8強。04年ドラフト6巡目で横浜入団。21年3月21日に引退。プロ通算は1169試合に出場し打率2割5分6厘、23本塁打、224打点。その後アメフト転身を宣言し、Xリーグ「ノジマ相模原ライズ」でプレー。23年1月30日、アメフトの引退を宣言した。プロ野球時代は身長183センチ、体重78キロ。右投げ左打ち。

今も実家に残ってる

――小倉ノートはバイブル?

バイブルというか、初めての経験ですね。あんなにノートに書いたり、連係プレーとかランダウンプレーとか「このプレーはこうしなさい、こういう風にする」っていうのを、ノートにそもそも書き始めたのが、小倉さんに出会ってから。中学の時とかはただセンスで、感覚で、足速かったりしてパーッとやってただけなんで、だけど、それを1年生から3年生まで3、4冊ぐらい、書いたのが今も実家に残っているし。

――プロになっても読み返した?

はい、たまに。こういうときどうしたらいいんかなって時は、実家のおかんから送ってもらって、たまに見たりはしていたので。本当に、すごいなというのはめちゃめちゃ思っています。

チームメートの涌井秀章は西武から1位指名を受けた。石川は横浜(現DeNA)の6巡目。強いわけだ

チームメートの涌井秀章は西武から1位指名を受けた。石川は横浜(現DeNA)の6巡目。強いわけだ

――「メモしろ」って言われた?

ミーティングだったので、ノートとペンは持っていくじゃないですか? 先輩も持っていくので。ホワイトボードみたいなのに書くんですよ。最初は写しているだけ、書いているのを。

だけど、状況とかによって違ってくるじゃないですか? 最初マジで理解できなくて、じゃあ次の日にそのプレーを練習しますって時に、あ、このプレーはこういうことだったんだなって、動きでやって、失敗して、また見返して、の繰り返しですね。

――練習で気付いたことは書き足して、小倉ノートをカスタマイズした

「こういう風に動け」って書いてあるんですけど、絶対的にそのとおりに動くことももちろんあるんですけど、動けないときもあるので。

そうなった時にどうしたらいいのかっていうのは、自分の応用として、大前提として(小倉ノートの内容が)あるんですけど、最悪、一番何をしちゃいけないのかっていうのを、それだけは頭に入れながら。

例えば、ランダウンプレーとかだったら、挟まれました、バッターランナーもいます、2人殺しにいこうっていうのが、あるんですけど。

だけど、最悪一番やっちゃいけないのは何かというと、2人ともセーフにすることじゃないですか。じゃあ、1人は絶対にアウトにしようと。

データとか、すごい小倉さんは取るじゃないですか。どっちが足の速いランナーかっていうのは、僕ら、分かっているので。最悪2つ(アウトを)取れなくても、足の遅い方を残そうとか、そういうのを考えるようになったですね。

細かいですね。あんな感じなんですけど、結構細かいんですよ。マジで野球のことだけは細かいんですよ。野球だけは、めっちゃ繊細なんです。


名勝負から名もなき試合まで…小倉note傑作選

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