【横浜―DeNA―アメフト相模原―解説者・石川雄洋】高2の骨折が転機/連載〈5〉

雑誌「輝け甲子園の星」などで、長く高校野球の取材を続けてきた〝ヨシネー〟こと保坂淑子記者が、当時の球児たちに会いに行く「ヨシネー'S メモリー」。横浜高校(神奈川)で春夏の甲子園に出場し、プロ通算1003安打を放った元DeNA石川雄洋さん(36)と当時の思い出を語り合いました。

プロ野球

◆石川雄洋(いしかわ・たけひろ)1986年(昭61)7月10日、静岡県生まれ。清水南中から横浜に進学。横浜時代は涌井秀章(現中日)と同学年。甲子園では2年春準優勝、3年夏8強。04年ドラフト6巡目で横浜入団。主に内野手でプレーし、21年3月21日に引退会見を開いた。その後、アメフトに転向し社会人フットボールリーグXリーグのノジマ相模原ライズに加入。23年1月30日、引退を表明した。プロ野球通算1169試合に出場し、2割5分6厘、23本塁打、224打点、118盗塁。現役時代は183センチ、78キロ。右投げ左打ち。

20年ぶりの再会「懐かしい~」

目の前に、ズラリと並んだ過去の写真を眺めながら、石川雄洋さんは、「懐かしい~」と言いながら目を輝かせました。

昨年、アメフトを引退。プロ野球も含め、長い競技人生に幕を引きました。「あ、これはあのときの!」「わ~、こんな時もあったね」。楽しそうに振り返る日々は、楽しかった思い出も、苦しかった日々も、すべて石川さんにとっていい思い出。それだけに充実した時間だったのだと感じさせられました。

たくさんの写真の中から、ベストショットとして選んだのは、同級生でともにドラフト指名を受けた中日涌井秀章選手とのツーショット写真。

「ワクとは仲が良いけど、この時はドラフト1巡目のワクが注目をされていて、僕はDeNAに6位。プロに入ったら絶対に負けたくないと思ったときだよね」。そう懐かしそうに話す石川さん。

プロに入ってからの原動力は、横高の野球。横浜高校2年春に取材をさせていただいてから20年。久しぶりに再会した〝タケちゃん〟(当時からそう呼ばせてもらっていた)に、その原点について取材をさせてもらいました。

2023年3月1日、東京・築地

2023年3月1日、東京・築地

――横浜高校時代の野球。あらためて振り返ると?

悔いはないですね。プロ野球の時も、高校、中学の時も、意外と野球人生的には悔いはないんです。

プロ野球も含め、22年間も野球をやってきて、1日練習をサボったなんて日もありましたけど、人間だからしょうがない。

そう考えたら、あの時めっちゃ練習をしておけばよかった~って思うことは、ないですね。

プロ野球選手になってからは、1人で海外で自主トレもしたし。練習は意外と真面目にやっていた方かな(笑い)。すげぇ~あれをしとけばよかったなぁ~なんて思うことはないです。野球人生に悔いはないです。

――高校時代は完全燃焼?

厳しいのはイヤでしたけどね(笑い)。やっぱり、横浜時代が僕の原点ですよね。

高3夏、甲子園宿舎で涌井秀章(左)と=2004年8月4日、大阪ジョイナスホテル

高3夏、甲子園宿舎で涌井秀章(左)と=2004年8月4日、大阪ジョイナスホテル

――原点

渡辺元智元監督に人間性を。小倉コーチ(元部長、敬称以下同)には、野球を叩き込まれましたから。野球に関しては他の選手よりは理解していると思います。

――これが衝撃的、こういう野球をするんだ、と思ったのは?

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秋田県生まれ。
2017年まで、日刊スポーツ出版社刊「プロ野球ai」デスク、「輝け甲子園の星」の記者を務める。〝ヨシネー〟の愛称で連載を担当した。甲子園取材は春夏通算50回超え。
著書に「監督心」、「主将心」(実業之日本社)「東浜巨 野球日誌が語る22年」(小学館)など。