【加治屋蓮の場合】ルーキーの記念球を確保に、歓喜の輪でなく外野へ/アレの備忘録1

38年ぶりの日本一に輝いた阪神。セ・リーグで2位広島に11・5ゲーム差をつけ、CSも3連勝(プラスアドバンテージ1勝)で無傷の突破を果たしました。「アレの備忘録~我らも岡田阪神V戦士」と題し、レギュラー陣を支える渋いけれど欠かせない虎戦士に迫ります。第1回は勝ちゲームでも負けゲームでも黙々と投げ続ける右腕・加治屋蓮投手(31)です。

プロ野球

◆加治屋蓮(かじや・れん)1991年(平3)11月25日生まれ、宮崎県出身。福島―JR九州を経て13年ドラフト1位でソフトバンク入団。18年にセットアッパーとして72試合に登板。20年オフにソフトバンクを戦力外となり阪神へ移籍。甲子園登板時にはリリーフカーを降りると遠回りしファウルグラウンドからマウンドへ行く。「野球の神様はいると思うので」と自分の足跡を一、二塁間の土につけて打球がイレギュラーしないためだ。185センチ、91キロ。右投げ右打ち。

「雰囲気も含めて変わった」

加治屋はベンチからダッシュで歓喜の輪に飛び込んでいった。

「このチームで優勝したい。岡田さんが今年来られて、チームがガラッと雰囲気も含めて変わった。監督を胴上げするために、右腕を振るだけ」

その言葉通り、日本一をつかみ京セラドームの天井へ向かって岡田監督を胴上げできた。移籍3年目で最多の51試合に登板。1勝5敗1セーブ、16ホールド、防御率2・56と中継ぎでフル回転した。

対右打者の被打率は2割と抑え込んだ。「5敗」はブルペン陣の中ではワーストの敗戦数だが、どんな場面でも投げてきた勲章だ。

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福岡県出身。西南大卒。1998年西部本社入社。
広告部、報道部では九州のレジャー面や高校野球などを担当。
レイアウト部門の整理部に11年所属したあと、2012年から37歳で初のプロ野球記者。ソフトバンクを8シーズン担当し、5度日本一(2018、2019年は2位からの下克上)を経験。
2020年は西日本のアマ野球担当もコロナ禍で春、夏とも甲子園大会中止。近大時代に取材した佐藤輝とともに2021年から阪神担当。
趣味は休日の野球観戦。試合だけでなくマスコット、チア、売り子、応援、球場グルメ、グッズなど幅広くプロ野球を堪能。独身。