【沖縄編】阿部慎之助が心馳せる伊江島 花火で祝ってくれた村長との別れ/連載〈3〉

巨人阿部慎之助監督(45)の〝足跡〟をたどる不定期連載。今回は2次キャンプ地の沖縄編です。人口約4000人の小さな離島・伊江島を第2の故郷として愛着を持ち、伊江村の観光親善大使も務める阿部監督。22年に他界した島袋秀幸前村長との絆とは―。現役最終年にはひめゆりの塔を訪れ、歴史に触れました。野球一筋の人生の中で、沖縄は人の生死、生き様、先人の思いを受け止めた特別な場所でした。

プロ野球

◆阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日生まれ、千葉県浦安市出身。安田学園―中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。01年に新人捕手でチーム23年ぶりに開幕先発出場し、初打席初安打初打点。04年4月に当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、MVP、正力松太郎賞。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。プロ通算2282試合で打率2割8分4厘、406本塁打、1285打点。19年に引退し、翌年から2軍監督。22年から1軍コーチで、23年はヘッド兼バッテリーコーチ。24年シーズンから第20代巨人軍監督に就任。右投げ左打ち。

穏やかで寂しげ

あれから半年がたった。那覇空港に到着した阿部は、沖縄自動車道を北上した。本部港からフェリーに乗り継ぎ、伊江島に降り立った。

顔見知りばかりの役場の人たちに迎えられた。「ここにくると気持ちが落ち着く。ゆっくりと時間が流れていてね。毎回、歓迎していただいて、ありがたい」。穏やかな表情の中にもどこか寂しげだった。

あの人の姿がなかった。

「本当はビールが良かったですけどね…。やっと、来ることができました。遅くなってしまい、すみませんでした」

線香を立て、そっと手を合わせた。

「最後ですよね。コロナでずっとお会いできずに。久しぶりにキャンプ中に食事ができた。僕はそれが最期になってしまった」

22年5月22日。伊江島の島袋秀幸村長がくも膜下出血のため自宅で死去した。69歳だった。突然すぎる訃報だった。

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