甲子園で木のバットを握る…銚子商・篠塚利夫から50年、勇気ある球児が2人も現れた

低反発バットが導入された中、脚光を浴びたのは、試合ではまず使われなかった木製バットでした。第96回全国選抜高校野球大会で青森山田の2選手が木製バットを使用し、8強に導きました。2人は、2長打含む計10安打して4打点の大暴れでした。甲子園に金属バットが初登場したのは74年夏のこと。この「金属元年」では、銚子商・篠塚利夫(のち巨人、和典と改名)が木製バットで臨み、優勝に大きく貢献しました。

高校野球

明らかに違う打球音

金属バットの反発性能を抑えた効果は、打撃成績にはっきりと表れた。本塁打は前年の12本からわずか3本へ。うち1本はランニング本塁打で、さく越えは2本だった。

本塁打だけではない。得点は前年の3・5点(1試合1チーム平均)が3・2点に。打率も2割3分3厘に止まり、前年より2分3厘下げた。

そんな大会中、金属音とは明らかに違う、乾いた打球音が響いた。青森山田の吉川勇大遊撃手(3年)が木製バットで放った一打だった。

1回戦の京都国際戦は9回1死無走者。打球は中堅手の頭上を越え、三塁を陥れた。直後の安打で生還し、サヨナラのホームを踏んだ。

吉川は前年11月から使用を始め、センバツの舞台に持ち込んだ。「金属より打球が伸びた打球があった。(木製バットを)信じて使っているんです」。5番打者は、試合で使用した理由を説明した。

もう1人、3番を打つ対馬陸翔外野手(3年)も木製バットで打席に入った。

こちらは、2回戦の対広陵(広島)戦、8回無死満塁の好機に同点2点右前打。3回戦で中央学院(千葉)に敗れたものの、この試合でも2人は計6安打2打点と活躍を続けた。

3試合で26打数10安打の3割8分5厘、4打点だった。対馬は木製バット使用をこう話した。「バットのシンに当たったとき、ボールの乗せ方にもよるけど、飛距離が出た」

吉川のバットは日本ハムの松本剛モデル、対馬はカブスの鈴木誠也モデル。目指すところはちょっぴり違ったが、ともに重さ890グラムは同じだった。

篠塚が大活躍した50年前に「○○モデル」のバットなどなかったろう。

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徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。