【長嶋茂雄さん】皇室観戦試合で不滅の打棒 スペシャル舞台こそ躍動/物語のあるデータ

死を惜しむファンの思いが受賞につながったのでしょう。「ミスタープロ野球」が新語・流行語大賞の特別賞に選ばれました。巨人軍終身名誉監督、長嶋茂雄さんの死去から6カ月余り、その代名詞が年末恒例の舞台に刻まれました。現役時代、大舞台に強い選手でした。1959年の天覧試合で劇的なサヨナラ本塁打を放つなど、華麗なプレーでファンを魅了しました。2025年が終わろうとするとき、スペシャルゲームに燃えた「背番号3」をもう1度、呼び戻しました。

プロ野球




◆長嶋茂雄(ながしま・しげお)1936年(昭11)2月20日、千葉県生まれ。佐倉一から立大を経て、58年に巨人入団。74年に現役引退するまでMVP5度、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度を獲得し、「ミスター・ジャイアンツ」として球界最大のスーパースターとなった。監督は75~80年、93~01年の計15年務め、リーグ優勝5度、日本一2度。アテネ五輪日本代表監督として03年アジア予選は3戦全勝で五輪出場を決めたが、04年の本戦は病気のため辞退。88年野球殿堂入り。13年に国民栄誉賞。21年には野球界で初めて文化勲章を受章した。現役時代は178センチ、76キロ。右投げ右打ち。




66年前 野球に縁のなかった数多くの目が


プロ野球がまだ国民的スポーツといえない時代、その存在をアピールするには最高の舞台といえた。59年6月25日に後楽園で行われた巨人―阪神戦。貴賓席に初めて天皇、皇后両陛下を迎えていた。

試合はシーソーゲームになった。長嶋が5回、小山正明からソロ本塁打して打線に火を付ける。坂崎一彦もソロで続き、2―1と勝ち越した。6回、阪神は藤本勝巳の2ランなどで3点を奪い、ひっくり返す。4―2。7回、今度は巨人がルーキー王貞治の2ランで追いついた。

ON時代を告げるアベックアーチ第1号となった。迎えた9回裏、長嶋が村山実の5球目、シュートをとらえる。打球は左翼ポールをかすめるようにスタンドインして勝負は決まった。


『長嶋、2本の「天覧アーチ」』の見出しで天覧試合を報じる1959年6月26日付日刊スポーツ。スコアボードの表記が現在とは左右が逆。掲載されている広告にも歴史が感じられる

『長嶋、2本の「天覧アーチ」』の見出しで天覧試合を報じる1959年6月26日付日刊スポーツ。スコアボードの表記が現在とは左右が逆。掲載されている広告にも歴史が感じられる


4番を打つ長嶋が光り輝いた。4打数3安打2打点。球史に残る試合を後年、こう振り返った。「展開からすべて最高の野球でしたね」。観衆4万2000人。その後ろには、野球に縁のなかった数多くの目が集まっていた。


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徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。