【黒田博樹】「どこのグラブ使てるの?」「SSKです」/近大前監督・田中秀昌〈2〉

アマチュア球界を代表する指導者の1人だった田中秀昌氏(67)が、昨年の関西学生野球秋季リーグを最後に近大の監督を退任した。1985年に母校・上宮(大阪)のコーチに就任し、その後監督に。東大阪大柏原、大学の母校・近大でも監督を務めた。約40年にも及ぶ指導者人生で多くの才能を見いだし、次代の野球人を育て上げた。その中から元巨人元木大介(52)、元広島黒田博樹(49)、元ヤクルト三木肇(46)、ロッテ石川慎吾(30)、阪神佐藤輝明(25)ら5人との出会い、見守った成長の日々、エールを紹介する。

高校野球

▼名伯楽・田中秀昌の目▼

〈1〉元木大介

〈2〉黒田博樹

◆黒田博樹(くろだ・ひろき)1975年(昭50)2月10日生まれ、大阪府出身。上宮―専大を経て96年ドラフト2位で広島入団。05年最多勝、ベストナイン、ゴールデングラブ賞。06年最優秀防御率。07年オフにFAでドジャース入団。12年からヤンキースに移り、大リーグ通算79勝は野茂英雄、ダルビッシュ有に次いで日本人3位。40歳の15年に広島に電撃復帰し、2年連続2桁勝利。16年には野茂に次いで2人目の日米通算200勝。チームの25年ぶりのリーグ優勝に貢献し、同年限りで現役引退。背番号15は永久欠番に。現在は広島の球団アドバイザー。今年1月に殿堂入り。父一博氏(故人)も南海などでプレーしたプロ野球選手。右投げ右打ち。


◆田中秀昌(たなか・ひでまさ)1957年(昭32)3月16日、大阪府生まれ。上宮から近大に進学し、4年時は野球部学生コーチ。卒業後は府議会議員の秘書を6年務める。85年に上宮の学校職員になり、野球部コーチに就任。91年に同校社会科教諭になり、同8月から監督就任。93年にセンバツ優勝。96年に明治神宮大会優勝。03年に柏原(現東大阪大柏原)の野球部監督に就任し、11年夏の甲子園に出場した。今年4月26日付で日本高野連の技術振興委員に就任した。

母の介入で変わった運命

黒田博樹は、どこにいても黒田博樹だった。

広島新入団選手発表で会見に臨んだドラフト2位の黒田博樹(右)と父・一博さん=1996年12月24日

広島新入団選手発表で会見に臨んだドラフト2位の黒田博樹(右)と父・一博さん=1996年12月24日

上宮(大阪)から専大を経て、広島でエースに。海外FA権を行使して入ったドジャース、ヤンキースでも活躍し、日本球界復帰後は再び広島の大黒柱に。16年にチームを25年ぶりのリーグ優勝に導き、ユニホームを脱いだ。そんな劇的な選手人生を送る黒田は高校時代、教室でも熱心な生徒だったと、コーチ、監督、教員として指導に携わった田中秀昌は述懐する。

「3年間授業に行ったけど、真面目。教室の黒田博樹もグラウンドの黒田博樹も、変わらない。一生懸命、とにかく、やる」

父は元南海の野手、黒田一博。母靖子は砲丸投げで五輪を目指した経験を持ち、引退後は高校の体育の教員になった。両親の資質を受け継いだ黒田は、可能性を感じさせる投手だった。ただ、才能が花開く、らんまんの春は上宮では巡ってこなかった。

本文残り68% (2099文字/3072文字)

古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。