【無料会員記事】長嶋ボールがあった それほど偉大/私と長嶋さん〈5〉

元大洋(現DeNA)投手の稲川誠さん(88)は現役時、巨人の長嶋茂雄さんと通算134打席対戦し、計35本のヒットを打たれました。中でも忘れられない1本があるといいます。対戦相手から見て「打者・長嶋」とは、どんな存在だったのでしょうか。立大の2学年先輩にもあたる長嶋さんを語ってもらいました。

プロ野球

◆稲川誠(いながわ・まこと)1936年(昭11)7月25日、満州・新京(現長春)生まれ。修猷館、立大、富士製鉄室蘭を経て62年に大洋入団。63年に自己最多26勝。68年に引退。通算304試合83勝70敗、防御率2・78。引退後は球団でコーチ、スカウト、寮長を歴任。右投げ右打ち。


◆長嶋茂雄(ながしま・しげお)1936年(昭11)2月20日、千葉県生まれ。佐倉一から立大を経て、58年に巨人入団。74年に現役引退するまでMVP5度、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度を獲得し、「ミスター・ジャイアンツ」として球界最大のスーパースターとなった。監督は75~80年、93~01年の計15年務め、リーグ優勝5度、日本一2度。アテネ五輪日本代表監督として03年アジア予選は3戦全勝で五輪出場を決めたが、04年の本戦は病気のため辞退。88年野球殿堂入り。13年に国民栄誉賞。21年には野球界で初めて文化勲章を受章した。現役時代は178センチ、76キロ。右投げ右打ち。

思い出のあの1本

19年4月、広島戦で始球式を行った稲川誠氏

19年4月、広島戦で始球式を行った稲川誠氏

稲川さんは、長嶋さんとの対戦成績表に目を落とし、つぶやいた。「よう打たれてるなあ」。62~68年の7シーズンで計134打席、相対した。通算被打率3割1分8厘への率直な思いを口にした。

大洋・稲川誠投手の投球フォーム(1966年撮影)

大洋・稲川誠投手の投球フォーム(1966年撮影)

現役時、長嶋さんには「絶対に打たれてはいけない」と思っていた。特に後楽園。ヒットを許そうものなら、観客は総立ち。あまりの歓声に、マウンドの自分がスターになったと錯覚するほどだった。打たれまいと思って投げても「打たれて当たり前の人」だったから、抑えた打席の方が記憶に残っているという。ただ、35本のヒットのうち、よく覚えている1本がある。

横浜大洋ホエールズ・稲川誠投手の投球フォーム

横浜大洋ホエールズ・稲川誠投手の投球フォーム

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1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。