【中日・中田翔】決断の裏側とは? 引退会見で語ったスラッガーの本音/一問一答全文

中日中田翔内野手(36)が8月15日、バンテリンドーム内で引退会見を行いました。スーツ姿で登場し、引退を決断した背景や所属した日本ハム、巨人、中日への思いなどを包み隠さず言葉にしました。中田選手があの日会見場で何を語ったのか? 一問一答全文をたっぷりとどうぞ。

プロ野球


◆中田翔(なかた・しょう)1989年(平元)4月22日、広島市生まれ。大阪桐蔭では1、2年夏、3年春に甲子園出場。07年高校生ドラフト1巡目で日本ハム入団。14、16、20年打点王。21年8月、無償トレードで巨人移籍。22年に通算1000打点、23年に通算300本塁打を平成生まれで初めて記録。23年オフに自由契約となり、中日移籍。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞5度。13、17年WBC、15年プレミア12日本代表。今季推定年俸3億円。自宅では家族とともに犬、イグアナなどの爬虫(はちゅう)類と暮らしている。184センチ、107キロ。右投げ右打ち。


最近は、自分自身でどうしようもできない状態だったという

最近は、自分自身でどうしようもできない状態だったという

1カ月前決断「自分自身でどうしようもできない」

★代表質問

―引退を決断した時期と理由を

時期ですか。1カ月前ぐらいですかね。本当にこの1軍の舞台で生き残るために全力でやっている中で、自分の日々、野球をやっている中で、自分自身が満足いくスイングができないだとか、思い通りに体が動かないというのを感じてきた中で、これ以上チームに迷惑を掛けられないなというのもありまして、そういう決断を自分自身で下しました。

―プロ生活を振り返って

日本ハムから始まり、正直、日本ハムに中田翔という選手を育ててもらったと思っていますし、その後はジャイアンツ、こうやってドラゴンズ、本当にたくさんの方にお世話になりましたし、3球団とも僕個人的には大好きなチームなので、そういうチームのユニホームを着られてすごく幸せだったなというふうに思います。

―けがと向き合う時間も長かった

昨年、体重をここまで落として、まだ何年も野球をやりたいという思いはすごく強かったんですけど、情けないことにあまり回復もせず、なんかひどくなっていっている一方だなというのも、自分自身すごく感じていましたし、最後の方は何て言えばいいのか分からないんですけれど、自分自身でどうしようもできない状態ではあったというか、そういう感じでしたかね、最後は。


ファンとハイタッチ

ファンとハイタッチ

「ドラゴンズのユニホームで幕…すごく幸せ」

―プロ生活で悔いはあるか。

プロ18年間やってきた中で、はっきり言って、うまくいかなかったことの方が多かったかもしれませんし、でも、そういう厳しい世界とは重々、自分自身、承知した上で、こうやって野球人生を続けてきた中で、悔い…。1つ挙げるんであれば、最後にこうやって拾っていただいた中日ドラゴンズに対してまったく貢献できなかったというのは、ファンのみなさんに対しても申し訳ない思いでいっぱいですし、自分自身、すごく悔しい思いはすごく強いなという気持ちです。

―プロ野球生活はどういうものだった

僕から野球を取れば何も残らないですし、小さい時から野球をやってきた中で、野球を通していろんな方と交流を持ってくることができましたし、僕にとっては、本当に野球というものは宝物だったというか、今まで野球ありきの人生を送ってきているので、これから野球がなくなると考えるともちろん不安もありますけれど、すごくこうして野球に携われて、すごく幸せだったというふうには今、思います。

―これまでのプレーなど印象に残っているシーンは

ドラゴンズに来て、思い出というか、それを出せばキリがないんですけど、ドラゴンズに来て初めてお立ち台に立ったときというのは、あの歓声であったり、自分自身の気持ちを含め、あの日というのは特別な1日になりましたし、まさかあれが最後になるとは思っていなかったんですけど、ドラゴンズファンの皆さんの声援というのは一生忘れないと思います。

―多くのファンへ

どなたというより、最後こうしてユニホームを着させてくれたドラゴンズの球団関係者だったり、スタッフの皆さんに感謝していますし、何度も言うように、最後、ドラゴンズのユニホームで野球人生に幕を閉じれることについてはすごく幸せなことだと思います。


日本ハム時代から、豪快な1発が魅力だった

日本ハム時代から、豪快な1発が魅力だった

「野球を嫌いになりかけていた自分がいた」

―豪快なスイングからの本塁打が魅力だった。本塁打への思いは

球場の雰囲気と、一気に1発で変えられるのはホームランだと思っているので、ホームランに対してのこだわりも若い時から強かったですし、ファンの皆さんもそこに対して期待もしてくださっていたと思いますし、本当はもっともっとホームランを打ちたかったですし、この球場でもたくさんホームランをファンの皆さんの前でお見せしたかったという気持ちは強いんですけど、僕にとってホームランは本当に特別なものというか、あのベースを、グラウンドを1周している時の気持ちと言いますか、あれは本当にホームランを打ったことのある人間にしか分からない感覚だと思うので、正直なところもっともっとグラウンドを周りたかったなと思いますけれど。


21年4月17日の楽天戦で、田中将から先制2ラン。田中の国内連勝を28でストップさせた

21年4月17日の楽天戦で、田中将から先制2ラン。田中の国内連勝を28でストップさせた

―今後はどういう形で野球界と関わっていきたいか

そうですね、これからのことはまったく決めてもいないので、まだどうなるか分からないですけれど、正直、この2~3年、きつい、精神的にもいろいろ考える時期が長かった分、こういうことを言っていいのか分からないですけれど、はっきり言って野球を嫌いになりかけていた自分がいたんですけど、やっぱり最後にもう1度野球を好きになって終わりたいという気持ちが強いですし、野球にどういう形で携わっていけるか分からないですけれど、今はやっぱりドラゴンズで一緒にともにしたチームメート、先輩後輩いますけど、純粋にこれからは、いちファンとして、まだシーズンは残っているので、それまで僕もできる限り全力で挑みながら、その後は、いちファンとしてドラゴンズの選手、中日ドラゴンズというチームを全力で応援していけたらいいなという風に思っています。

―家族にはどう伝えた

1カ月前くらいに母親と家族には伝えました。僕以上に悲しんでくれましたし、僕もそうですけど家族、母親含めて野球ありきの生活だったと思うので。その中でいろいろ心配事や迷惑はたくさんかけてきてしまった分、こういう終わり方は僕自身もそうですしちょっと悔しいというか。そういう会話はしました。


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福岡県出身。西南大卒。1998年西部本社入社。
広告部で営業、報道部では九州のレジャー面や高校野球などを担当。
紙面レイアウト部門の整理部に11年所属したあと、2012年から37歳で初のプロ野球記者。ソフトバンクを8シーズン担当。5度日本一(18、19年は2位からの下克上日本一)を経験。
2020年は西日本のアマ野球担当もコロナ禍で春、夏とも甲子園大会中止。
21年から阪神担当。23年はキャップとして38年ぶり日本一を取材後、整理部へ。阪神の紙面などを担当。
25年2月から再び現場へ戻り中日担当。50歳で初の名古屋生活。
趣味は休日の野球観戦。野球グッズ集め。