【代打の神様対談〈上〉】友野一希と桧山進次郎氏の全4回合計20000字大特集!

2022年3月、フィギュアスケート男子の友野一希(24=上野芝スケートクラブ)は補欠から繰り上がり出場した世界選手権で、6位入賞と健闘しました。

国際大会の繰り上げは、この時で5度目。2018年にも補欠から世界選手権5位入賞で翌年の日本の出場枠最大「3」獲得に貢献し、周囲から「代打の神様」と呼ばれるようになりました。

その友野が「代打の神様」と聞き、真っ先に思い浮かべたのがプロ野球・元阪神タイガースの桧山進次郎氏(53=日刊スポーツ評論家)。代打通算158安打はセ・リーグ2位、球団最多の記録となっています。

このたび、シーズン本格化を前に幼少期から憧れた桧山氏との対談が実現。たっぷりと語り合った模様を、4回にわたってお届けします。(敬称略)

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対談を終え笑顔で写真に納まる桧山進次郎氏(左)とフィギュアスケートの友野一希 ※撮影時のみマスクを外しています

対談を終え笑顔で写真に納まる桧山進次郎氏(左)とフィギュアスケートの友野一希 ※撮影時のみマスクを外しています

桧山氏も読んだ世界選手権での「代打の神様記事」

友野 初めまして。お会いできて、本当にうれしいです! 

桧山 こちらこそ、よろしくお願いします。世界選手権の時に「代打の神様」のネット記事を読みましたよ。

友野 恐れ多いです…。僕は生まれた時から阪神ファンです。(大阪の)堺生まれ堺育ちで、学校も阪神ファンじゃないと肩身が狭い(笑い)。ずっと阪神を見て育ってきて、小さい頃からお父さんにお願いして、応援も何度か行きました。今年も中日の根尾(昂)選手が甲子園で初めて投げた日(6月25日)に行っていたんですよ。阪神がボロ勝ちでしたが、今はアスリート目線で見ることが多くなって、中日の投手の表情とかも見てしまう。相手の選手だけど、つらかったです。

桧山 根尾にとっては1軍で投げる甲子園初登板だったね。

友野 皆さん言うと思うんですが、桧山さんは引退前最後の(2013年)クライマックスシリーズで、代打でホームランを打たれたのを一番覚えています。中学3年生だったので印象が強いし、僕が見に行った時も、代打で登場する際の歓声が忘れられません。応援歌とのマッチ度も(笑い)。

桧山 メガホンの振り付けも? 

友野 ライトスタンドでやっていました(笑い)。僕、優勝パレードも見に行ったことがあるんです。

桧山 2003年は星野監督で、岡田監督で優勝した2005年のパレードは確か雨降りでした。

友野 おばあちゃんに連れられて行って、その光景だけを覚えています。

桧山 2003年のパレードは車、2005年はバスでした。

友野 僕は車だった記憶があるので、2003年ですね。

桧山 当時は5歳ですよね(笑い)。優勝を知る男やね。最後の優勝が2005年だから、今の若い子どもたちはタイガースの優勝を知らないもんね(笑い)。

22年8月、げんさんサマーカップ選手権男子、演技を終え笑顔を見せる友野

22年8月、げんさんサマーカップ選手権男子、演技を終え笑顔を見せる友野

友野 僕、小学校6年生までは野球ではないんですが、ソフトボールをやっていました。母親には「小さいから無理や」と言われていましたし、どちらかというと自分も「向いているのはフィギュアスケートやな」って思っていたんです。

桧山 では、スケートを始めたきっかけを教えてください。

友野 本当にささいなことなんですけど、近所にスケート場があって、そこに遊びに行ったのがきっかけです。

桧山 それでいきなり滑れたの? 

友野 分からないです。でも、母親が昔、スケートを習っていたみたいで…。

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