藤田慶和、桜のジャージーを再びまとう旅 失敗、挫折を学びに「ラグビー人生第2章」

ラグビーワールドカップ(W杯)フランス大会(2023年9月8日~10月24日)開幕まで1年を切り、日本代表の強化が続く。10月29日には東京・国立競技場でニュージーランド代表「オールブラックス」と対戦。客席を埋めた大観衆が、桜のジャージーの男たちを後押した。そのジャージーをもう1度着るために、再出発した選手がいる。三重ホンダヒートのFB/WTB藤田慶和(29)。リーグワン初代王者の埼玉パナソニックワイルドナイツから、初めての移籍で選んだのは2部の三重。ラグビー界のスターの思いに迫る。

ラグビー

新天地の三重で汗を流す藤田慶和(三重ホンダヒート提供)

新天地の三重で汗を流す藤田慶和(三重ホンダヒート提供)

ホンダ一色の町、三重の鈴鹿へ

季節は夏に差し掛かっていた。22年7月、藤田は伊勢湾を望む三重県の鈴鹿市にいた。

窓ガラス越しの景色を眺め、この町で過ごす自分を想像した。「H」マークを添えて走る車が、次々と目に入ってきた。京都、福岡、東京、埼玉…。これまで暮らした町とは違った雰囲気が、そこにあった。

「鈴鹿は初めてでした。三重県は小さい時に伊勢志摩に行ったり、小学生の時に四日市へ試合に行った記憶があります。でも、鈴鹿には行ったことがなかった。『本当にホンダ一色な町だ』と思いました。『こんなにホンダが目に入る町があるんだ』と驚きました」

29歳の誕生日が近づいていた。早稲田大を卒業後、日本最高峰リーグに身を置いて6シーズンを終えた。人生で初めて、移籍という決断を下した。

選んだ新天地は鈴鹿の土地に根付き、リーグワンの2部で戦う三重ホンダヒートだった。

「ニュースだけを見た方は『なんで2部?』と言うと思います。このチームからは熱いオファーをいただきました。1部、2部に関係なく、どこでも成長はできる。『ラグビー人生の第2章』だと思っています」

そして、こう続けた。

「ヒガシに行った時と似た気持ちです」

12年全国高校ラグビー決勝、東海大仰星を破り3連覇を達成、笑顔で優勝旗を受け取る東福岡時代の藤田

12年全国高校ラグビー決勝、東海大仰星を破り3連覇を達成、笑顔で優勝旗を受け取る東福岡時代の藤田

■藤田の経歴■

2006-2009

京都市立洛南中学校

2009-2012

東福岡高等学校(3年連続日本一)

2012-2016

早稲田大学(12年5月5日最年少代表デビュー、15年W杯出場)

2016-2022

パナソニックワイルドナイツ(21年東京五輪出場)

2022-  

三重ホンダヒート

伏見工出身の父から学び、東福岡へ

今から13年前、中学3年生の少年は生まれ育った京都を離れた。まだ桜のつぼみが膨らんでいた3月中旬、両親は新幹線のホームまで見送りに来てくれた。

「不思議と京都を離れる寂しさ、不安は全くなかったんです。『ヒガシでラグビーができる。憧れたところへ行ける』。ワクワクとした気持ちが勝っていました」

常に志を持ち、自らの人生を決めてきた。小学2年生でラグビーを始め、京都の名門校である伏見工出身の父から基礎を学んだ。洛南中では京都中学校選抜の中心選手として活躍。同学年の仲間に、のちの日本代表主将、坂手淳史がいた。

全国で優勝したい-。

それが高校での目標だった。

大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。