W杯を断たれた世界のSOクエイド・クーパーは言った「陽はまた昇る。次へ進もう」

彼は、W杯にいるべきはずの選手だった。ただ、オーストラリア代表のメンバー発表に名前が呼ばれることはなかった。35歳になった今でも世界的なフライハーフ(SOの別称)として君臨するクエイド・クーパー。大黒柱を失ったチームは史上初めて1次リーグで敗退。来日してすぐの10月初旬、彼を訪ねた。紡ぎ出された言葉をここに描く。

ラグビー

〈W杯を逃した男〉

 

豪州代表で2度のW杯 花園所属の35歳

クエイド・クーパー

1988年4月5日、オークランド生まれ。ニュージーランドの先住民マオリの血をひく。12歳の頃にオーストラリアに移住しブリスベン近郊で過ごした。アングリカン・チャーチ・グラマー高ではデービッド・ポーコック(元パナソニック、フランカー)らとともに各年代のオーストラリア代表で活躍。17歳でスーパーラグビーのレッズと契約。当時、指導を受けたのがエディー・ジョーンズ(現オーストラリア代表HC)だった。08年にオーストラリア代表入り。11年にSHウィル・ゲニアとのハーフ団でレッズの初優勝に貢献。11、15年W杯のオーストラリア代表。16年にフランスのトゥーロンへ。レッズ、レベルズを経て19年からゲニアとともに花園近鉄ライナーズ入りした。187センチ、90キロ。

花園近鉄ライナーズの練習に合流した10月2日、取材に応じるクーパー

花園近鉄ライナーズの練習に合流した10月2日、取材に応じるクーパー

10月2日、東大阪市花園ラグビー場にて

保証された未来など、どこにもない。

それはラグビーだけではなく、人生においても。

ただ、絶望や失意の時、最初の1歩をどう踏み出すかで、次の未来は変わる。

10月2日。東大阪市花園ラグビー場の第2グラウンド。

空は青く、遠くに見える生駒山から心地よい風が吹いていた。

夕暮れ時になると感じる肌寒さが、秋の気配を漂わせる。

所属する花園近鉄ライナーズに合流した日だった。

来日したばかりでも、軽めに練習を終わらせることはしない。

バックスの選手を集めると、攻撃時のランニングコースの角度、入るスピードまで細かく指示を出す。

言葉は熱を帯びていた。

全体練習が終わればキックを確認する。

まるでシーズン中のように、1つ1つの練習を丁寧に繰り返していった。

クラブハウスへと引きあげる時に声をかけた。

「W杯のことを聞いてもいいだろうか」

そんな問いかけに、少しの間を置いてからこう答えた。

「ああ、問題ないよ」

どんな苦境に立たされても、ぶれることはない。

それは1年前、左アキレス腱(けん)断裂の重傷を負った時から取材を通して感じてきたことだった。

なぜ、彼の心はそれほどまでに強いのか。

それは、彼が歩んできた人生の道のり。

生い立ちから描く必要があった。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。