飛び込み競技はメンタルが大きく影響するスポーツだ。

1歩間違えば大けがにつながるため、練習から手を抜けない。試合となれば当然、いつも以上の集中力が必要となる。さらにワールドカップや世界選手権、オリンピックでの予選は40~50人も出場するため、女子は5本、男子は6本飛び終えるまでに4~5時間は集中を途切らせることが出来ない。

集中力をコントロールする力、精神的タフさが重要となる。


2012年2月28日、2大会連続の五輪出場を決め帰国した中川真依さん
2012年2月28日、2大会連続の五輪出場を決め帰国した中川真依さん

私は試合の緊張が嫌いだった。大観衆の中、たった1人だけに注目が集まる。今想像しただけでも心拍数が上がってしまうほどだ。

毎日一生懸命練習しても試合が楽しみだと思える余裕はなく、毎回試合の1週間ほど前から緊張で眠れない日々が続き、不安や恐怖に打ち勝つためにいつも必死だった。

それは小学生の頃から引退するまでの23年間、ずっと変わらなかった。


■目標はロンドン

高校2年生で2004年日本選手権に優勝し、最初に出場したオリンピックは2008年北京大会。ただそれ以前から、競技人生の目標と見据えていたのは2012年ロンドンオリンピックだった。ロンドンの出場権を獲得するまでの道のりは絶対に間違えてはならない、と思いながら過ごしていた。

しかし開催前年度になりオリンピックムードが高まってくると、同時に私の中での緊張も高まり、夢を実現させたいという思いが前のめりになっていった。

自分自身への期待と夢、そして周囲の応援に応えたいという気持ちからだが、それがこれほどまでに自分を苦しめることになるとは思いもしなかった。


■突然足が震え出した

最初のオリンピック選考会となった2011年7月の世界選手権(中国・上海)は、決勝に残ることが内定条件だった。予選は調子よく通過し、準決勝もそのままの調子で飛べるだろうと思っていたが、そこが甘かった。

準決勝が始まった瞬間、オリンピックを意識してしまい足が急に震えだしたのだ。自分でもわけが分からずどうすることもできなかった。

そして準決勝敗退。オリンピックが遠のいていく不安に襲われた。

そこからは日常で起こる全ての事、そして人から言われる言葉の1つ1つに敏感になり、心が休まる時間を失っていった。ついにはプールに飛行機が墜落する夢や、10メートルの飛び込み台に上る階段が空に続いていて永遠にたどり着けない夢にうなされるようになった。不安や焦りから逃れられなかった。

もういっそ競技をやめてしまいたいと思った。このつらい日々を乗り越えた先に必ずオリンピックが用意されているわけではない。どれだけ頑張ってもオリンピックに行けなかったらどうしよう。今までやってきたことも無駄になり、目標を達成できなかった自分には何の価値も残らない。そう思ったら、もうプールにも行けなくなってしまった。


■涙の日々から変化が

最終選考会は2012年2月のワールドカップだった。残された時間は数カ月。休んでいる暇などなかったが、その暗い洞窟からどうやって抜け出せばいいかわからなかった。

そんな時に出会ったのがメンタルトレーナーだった。自分と向き合うことも、メンタルに強化が必要だということもそれまで感じたことがなかったため、どのように自分が変われるかも想像がつかなかった。でも迷っている暇はない。とにかく当時の状態から抜け出したい一心で毎日会いに行った。

初めは一言も話さず、ただただ泣いて帰る日々だった。そんな私を責めることもなく温かく見守ってくれるトレーナーに、少しずつ凝り固まった心が溶けていく感覚があった。何かが変わるかもしれない。私の中でも変化が表れはじめ、心の中を言葉で表現できるようになっていった。そこからはとにかく自分に向き合い、今の自分を受け入れ、未来に向かうためのトレーニングが始まった。

ぐちゃぐちゃに絡まった心の糸を、会話を通して1つ1つ解きほぐしてもらい、悩みの根本を見つけ出してもらうと、一気に心が軽くなった。そのあとはイメージを取り入れた呼吸法や緊張状態を和ます方法など、日常の中で実践できることを中心にトレーニングしていった。

すると不思議なことに今まであった周りの評価や雑音がどうでもいいと思えるようになっていった。やるのは他の誰でもない自分で、全力で戦った結果ならダメでも仕方がないと腹をくくることが出来るようになっていった。


ロンドン五輪に出場した際の中川さん
ロンドン五輪に出場した際の中川さん

■高いハードルを乗り越えた

そんな中で迎えたワールドカップ(ロンドン)。内定の条件は、決勝進出だけではなく「7位入賞」というかなりハードルの高いものだった。一瞬「無理かもしれない」という思いが頭をよぎったが、もう失うものは何もないという開き直りの部分もあり、結果、ギリギリの7位入賞でオリンピックの切符を手に入れた。

諦めないで良かったと心の底から思った。つらかった日々にも意味があったと思えた瞬間だった。


選手たちはそれぞれの過酷な道を歩んでオリンピックの舞台へ立っていることは間違いない。応援する側としては、結果を期待したい部分もあるが、選手たちが戦ってきた背景へのリスペクトも忘れないでいたい。

そして選手自身も、頑張ってきた自分に自信と誇りを持って戦ってほしいと思う。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)