-何を見せたいのか

 大野 子供たちですね。逃げたり、組み手でさばいて、切って、じゃないでしょ、と。73キロ級のスタイルのまんま、でっかいやつとがっちりと組み合って、真っ向から大外刈り、内股をかけて、「こいつバカなんじゃないか」「なにしてるんだ」と思うでしょ。でも、小さくてもできるんだと。「こいつ、すごい」「違う」という存在感を醸し出さないと、僕の今後もない。正々堂々、大野将平の柔道をぶつける。これが本当に格好いいかなと思う。

 体重は79キロ前後。減量前の普段と同じで、あえて「全日本仕様」にはしない。豪快な投げ技で73キロ級の世界の頂点に立った。しっかり両手で相手の道着を持って投げる、日本柔道の伝統を貫徹してこそ意味がある。柔道家としての生き方、価値を熟慮する大野ならではの挑戦といえる。実際、全日本に初出場した14年、最も会場を沸かせたのは、そんな戦いだった。3回戦で100キロ超級の王子谷剛志に向かい、逃げの姿勢は皆無。判定負けはしたが、優勝した王子谷が唯一、一本勝ちを奪えなかった事実が、ひときわ光った。

 全日本に向けた天理大での稽古でも、重量級の後輩を大外刈りでなぎ倒す場面が目立った。もともと東京・世田谷学園高では、中量級ながら、自分より体重が重い仲間と稽古で激しい乱取りを続けていた。重量級と組むことは日常。それが大野のスタイルを形作った。だから、無差別への挑戦も特別なことではない。

 「柔道ファンに喜んでもらいたい」。その気持ちは第一だが、同時に全日本出場には緻密なプランも併せ持つ。「武道館で試合をすることがないんですよ。そこでやりたかった」。20年東京五輪の試合会場は、中量級の年間スケジュールを履行していては、畳に上がる大会はない。3年後を見据えて、2連覇を見据えてのアプローチでもある。

 豪快な一本勝ちにも繊細な技術の裏打ちがある。それは勝負事、2度目の五輪で頂点に立つための準備でも一緒だ。大胆さと緻密さこそ、大野らしさの証し。

 「歴史に名を残すようなチャンピオンになりたい。あいつバカだった、本当にすごかったと言われるような柔道家になりたい」

 4月29日。その信念、覚悟を示す。

◆大野将平(おおの・しょうへい)1992年(平4)2月3日、山口県生まれ。東京・弦巻中-世田谷学園高と柔道の私塾「講道学舎」で腕を磨き、天理大に進学。14年に旭化成入社。世界選手権は13、15年優勝。得意技は大外刈り、内股。たたずまいと豪快な投げ技から海外では「キラー」「サムライ」と呼ばれる。家族は両親と兄。