各世代の元日本代表中心選手がワールドカップ(W杯)を語るシリーズ「俺のW杯」。第2回は、フッカーとして91年第2回大会から3大会連続で出場した、現15人制男子日本代表強化委員長の薫田真広氏(52)。主将として臨んだ95年大会でニュージーランドに17-145と大敗。歴史的敗戦で痛感した、日本と世界の差を振り返った。

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後に「ブルームフォンテーンの悲劇」と呼ばれる歴史的敗戦にも、ピッチに立つ薫田の心は、どこか穏やかだった。「点差が開いていく中で、ベンチにも策がなかった。じゃあ、オールブラックスとやれる1分1秒を逃げずにチャレンジしようと。何点取られても責任は取る。トライを取りにいこうという話をした」。

主将として、覚悟を決めた真っ向勝負。結果的に2トライこそ奪ったが、王国の力は想像のはるか上をいっていた。キックオフのボールを、ジャンパーをリフトしてキャッチ。初めて見るプレーに驚いていると、世界的名手のNO8ジンザン・ブルックから20メートルを超す強烈なパスが飛ぶ。強さと速さを兼ね備えたBK陣には、スペースを面白いように走られた。「(CTBの)元木に『ゆきお! 止めれるか?』って聞いたら、『あきません!』って。そのぐらい、スキルとスピードに差があった」。

結果を受け入れる準備は出来ていた。だが、試合後の会見で、薫田は自身の判断が正しかったのかを考えさせられる事態に直面した。翌年のプロ化を前に、「ラグビー」が進むべき道を模索していた95年。次の99年大会から参加チームが16から20に拡大される構想もあり、海外メディアからの厳しい声が薫田に集中した。日本の大敗が、「さらに力の差の大きい対戦が生まれる」という危機感を広げるきっかけとなったのだ。

あの敗戦から24年-。00年に現役を引退し、指導者としても実績を残した薫田だが、「145」という数字が頭から消えることは決してなかった。

「145点というスコアがどう影響を及ぼすか、自分には考えられなかった。だが、あの試合は日本ラグビーに負の遺産を残し、自分の判断が正しかったのかという思いもずっと残った。だから、求められるうちは日本ラグビーのためにやろうと決めた」。

3度経験したW杯。薫田にとって、それは日本と世界の差を知る舞台でもあった。特に印象に残っているのは、95年大会のウェールズ戦後、相手の分析担当者からかけられた一言だ。「極端に言えば、私たちはあなたがどんな食べ物が好きかも知ってます」-。W杯の位置づけ、意識の違い。そこにも日本が勝てない理由があったと薫田は語る。

日本は、15年大会の歴史的3勝で世界との差を縮め、自国開催のW杯で、初のベスト8進出を目指す。強化の責任者としての挑戦に、言葉には力がこもる。「今はすべての情報が筒抜けになる時代だし、情報合戦に関してもしっかり準備したい。ヘッドコーチがやりたい環境をどう作るか。それが、自分の仕事だと思っている」。(敬称略)【奥山将志】

◆薫田真広(くんだ・まさひろ)1966年(昭41)9月29日、岐阜県各務原市生まれ。岐阜工高-筑波大-東芝府中。フッカーで代表キャップ44、W杯3度出場。00年に現役を引退。02年に東芝の監督に就任しトップリーグ3連覇、U-20日本代表監督なども務めた。現在は15人制男子日本代表強化委員長。