87年の第1回大会からワールドカップ(W杯)3大会に出場した桜庭吉彦(52)は、釜石の未来を見つめる。伝説的な強豪、新日鉄釜石に入社して34年。愛するラグビーと釜石市のために、192センチの大型ロックが奮闘する。

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1つ1つの点がつながるから線になる。過去から現在、そして未来へ-。秋田工高で花園優勝、新日鉄釜石入社、W杯3大会出場、東日本大震災、そして釜石でのW杯開催…。桜庭は、点がつながる先を見据えていた。「W杯はゴールではない。このW杯がスタートになるんです」。

ラグビーW杯日本大会アンバサダーの桜庭吉彦氏
ラグビーW杯日本大会アンバサダーの桜庭吉彦氏

W杯開幕が迫り、大会アンバサダーでもある桜庭は準備に多忙な日々を送っている。「特に輸送のところですかね。新幹線駅からのバスと三陸鉄道などを使います。27日の日本-フィジー戦が最終テストになります」と話した。

震災直後、変わり果てた市街地に「再生できるか、立ち直れるのか」と苦悩した。W杯誘致も「葛藤があった」と明かした。「背中を押してくれたのは被災した人たち。復興に、未来につなげたいと語っているのを見て、何もしない自分が恥ずかしくなった」。

3大会出場で、W杯は知っている。だからこそ、釜石開催は「普通なら想像できない」という。95年大会でニュージーランドに大敗した。「あれでラグビー界は本気になった。平尾(誠二)さんが監督になり、トップリーグができて、いろいろな歴史があった」。振り返る先に、釜石開催があった。点が線になった。

釜石愛が強い。「根っこになっていることがある」と明かす。85年1月15日、日本選手権前の高校東西対抗に出場した。国立競技場のグラウンドに飛びだした時、背中にかけられた「桜庭、頑張れ」という声援。7連覇を目指す新日鉄釜石の応援団からだった。

「前年の秋、日本代表の釜石合宿の時、ちょうど入社試験だった。グラウンドで松尾(雄治)さんに呼ばれ『来年入る桜庭です』と見に来ていた人に紹介してくれたんです」。それで釜石ファンから声援が送られた。「勇気をもらって、頑張れた。釜石に恩返しがしたい、ためになりたい、と思った」と話した。

「復興した姿を世界に発信するのは大きな意味がある」と桜庭は話す。ただ「成功」の意味は少し違う。「大会後、レガシーとしてスタジアムをどう活用するか。さらに地域の活性化にどうつなげるか。それができて成功」という。

目指すのは、多くの市民の参加。「観客、ボランティア、訪れる人を迎える。何でもいい。かかわることが未来への自信になる」という。「そこに地元チームとしてどうかかわるか。強く、愛されるチームを作らないと。満員のスタジアムで試合をする。それが、今の夢ですね」。点と点をつなぐ線が明るい未来に向くように、桜庭は決意を胸に言った。【荻島弘一】(敬称略)

◆桜庭吉彦(さくらば・よしひこ)1966年(昭41)9月22日、秋田・潟上市生まれ。秋田工高2年の時に野球部からラグビー部に転向。192センチの長身を生かしてロックとして活躍し、3年で花園優勝し、85年に新日鉄釜石入り。86年に19歳で日本代表に選ばれ、キャップ43。87、95、99年W杯に出場した。02年に新日鉄釜石がクラブ化した釜石シーウェイブスのヘッドコーチに就任、現在はゼネラルマネージャー。