野性的な動きで日本代表を引っ張ったNO8伊藤剛臣(48)は99、03年ワールドカップ(W杯)に出場した。46歳になる18年まで現役を続けた魂のタックラーが、熱き思いを語る。

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「『お前は男なのか』と試されているようなもの」。代名詞のタックルを、伊藤はそう表現する。ひたむきなプレーでファンの心をつかみ、46歳までピッチで体を張り続けた。そんな男が「特別な試合」と語るのが、03年のW杯オーストラリア大会初戦スコットランド戦だ。11-32で敗れはしたものの、後半20分まで欧州の強豪と互角の試合を演じ、地元タウンズビルのファンから「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」と称賛された。

桜のジャージーをまとった伊藤を突き動かし続けたのは、95年W杯の悪夢だった。まだ代表に手が届かず、神戸製鋼の若手だった当時、日本がニュージーランドに145失点の歴史的敗戦を喫した。「あまりのショックで吐いた」伊藤は、同時に「日本ラグビーの誇りを取り戻す」と胸に誓った。初出場の99年大会は先発の座をつかめず、チームも全敗。そこから中核に成長し迎えたのが、32歳で臨んだ03年大会だった。節目の代表50キャップ目のスコットランド戦。W杯初先発の舞台で、伊藤は燃えた。

通常は1試合で10回程度のタックルが、この試合は実に25回。「箕内主将、大久保、広瀬、元木、大畑…。チームにタックラーがそろっていたし、俺も負けるかって。チームのために体を張る姿は心に響く。それを痛感した試合だった」。

2度目のW杯で待望の勝利はつかめなかったが、力は出し切った。最後の米国戦後、現地のバーで酒を飲んでいると、知り合いの海外チームのコーチに声をかけられた。「イトウ、(NZの伝説的なNO8)ジンザン・ブルックがいるから紹介してあげるよ」。だが、同じテーブルにいた日本選手の顔を見つめ、伊藤はその誘いに首を振った。「野球で言えば、王さん、長嶋さん。でも『いいんだ、ジンザン・ブルックは。おれはこいつらと飲んでいるんだ』って。日本のプライドを少しは取り戻せたと思えた大会だった」。

18年に引退し、日本開催のW杯は大会アンバサダーとして迎える。ラグビーと向き合い続けてきたからこそ、伝えたい思いがある。

「味わってほしいのは、W杯の祭り感や緊張感、規模感。海外のファンは試合前に酒を飲んで、試合中も、終わってからも飲む。それでも暴れないのがラグビーの良さ。ノーサイドの精神がお客さんにもあるし、そういう文化も楽しんで欲しい。ルールが分かりにくいと言われるが、細かいことを気にしないのもラグビーの良さ。そもそも、神経質なやつは体なんて張れないですから(笑い)。選手、スタッフを信じて応援しましょう」。【奥山将志】(敬称略)

◆伊藤剛臣(いとう・たけおみ)1971年(昭46)4月11日、東京都荒川区生まれ。法政二高でラグビーを始め、法大3年時に大学選手権優勝。94年に神戸製鋼入社し、12年に退団。同年、トライアウトを受け釜石シーウェイブスに入団。18年に現役引退。ポジションはNO8。日本代表キャップは62。

01年6月、ウェールズ戦で突進する日本代表の伊藤剛臣(手前)
01年6月、ウェールズ戦で突進する日本代表の伊藤剛臣(手前)