主にFBで活躍した松田努(49)は、ワールドカップ(W杯)に4大会連続で日本代表に選出された。苦い思い出もあるが、世界と戦ってきた誇りを胸に、ラグビーの魅力を全国に伝え続けている。

ラグビーW杯に4大会連続で選出された松田努氏(撮影・松熊洋介)
ラグビーW杯に4大会連続で選出された松田努氏(撮影・松熊洋介)

「あまりいい思い出のないラグビー人生でしたから…」。控えめに語る松田の言葉には、W杯で結果を残せなかった悔しさがにじむ。

95年大会でニュージーランドに17-145の大敗を喫した。「ボールを取られたらすぐにトライ。早く終わってくれと思っていた」と打ち明ける。ほかの選手とは「日本に帰って空港で生卵を投げられたらどうしよう」と心配していたほど。帰国時は特にハプニングはなかったが、それは逆に注目度の低さでもあると痛感した。

今度こそ「勝って日本に凱旋(がいせん)」と臨んだ99年大会。選手、コーチ、スタッフが1つとなって世界に挑んだ。中心選手にもなり、最高の状態で迎えた。「外国人選手も加入して本当に強かった」と手応えを感じていた。初戦のサモア戦前夜、以前は選手としても一緒にプレーした平尾誠二監督(故人)から選手に手紙が届けられた。当時のことを鮮明に覚えている。

手紙の一部は、こうだった。

「いざという時にいてくれないと困るし、いつも助かっている-」

心が奮い立ち「さあやるぞという気持ちになった」。

気合十分で挑んだ試合だったが、前半途中で肩を脱臼して交代。リズムを失ったチームは1勝もできず、再び悔いの残る大会となった。「他の選手が慣れないポジションでプレーせざるを得なくて申し訳なかった」と責任を感じた。

16年12月、ラグビーW杯2019開幕1000日前記念カウントダウンイベントに出席する元日本代表・松田努氏
16年12月、ラグビーW杯2019開幕1000日前記念カウントダウンイベントに出席する元日本代表・松田努氏

苦い思い出も多いが、それまでのW杯8大会のうち、4大会で選出されたのは松田と元木由記雄の2人だけ。「唯一自慢できることかな。CTBと合わせるのが得意だったからだと思う。4大会も経験していれば、いろんなBKラインがある。故平尾監督の時は神戸製鋼を中心としたラインだったり、その後は広めになったり。それに一番順応できた」と前向きに話した。

13年の引退後、アンバサダーに就任。子どもたちへの指導も行いながら、W杯を盛り上げる活動を行っている。「自分自身がやれることは限られているが、W杯に関連することはいの一番に協力する覚悟でやりたい」と話す。W杯の記憶を最高の喜びに変えようと、裏方役に回った今は大会の魅力を伝えながら全国を飛び回っている。【松熊洋介】(敬称略)

◆松田努(まつだ・つとむ)1970年(昭45)4月30日、埼玉県生まれ。草加高でラグビーを始める。関東学院大に進学し、FBに転向。同大在学中に91年W杯メンバーに初選出。93年に東芝府中(現東芝)に入社。03年までW杯4大会連続で選出。13年3月に43歳で引退。同年5月に19年W杯アンバサダーに就任。日本代表43キャップ。娘凜日(りんか)さん(17)は国学院栃木ラグビー部3年で7人制女子日本代表。