ついに勝った。ロッテ木村優太投手(29)が今季初先発。オリックス打線を5回4安打1失点に抑え、プロ初勝利を挙げた。高校時代は「和製ランディ」とも呼ばれ、将来を嘱望された長身左腕だった。だがプロ球団から金銭を受け取っていたことが、後に発覚。社会人時代に1年間の謹慎処分を受けた過去を持つ。苦境の末にプロ入りし、7年目で、うれしい初白星。チームの連敗を2で止め、勝率を5割に戻した。

 木村に涙はなかった。「長かった。7年かかったけど、良かった」。190センチの長身左腕は、報道陣を見下ろすように笑った。左手には、ウイニングボールが握りしめられていた。7年目の1勝を素直に喜んだ。

 序盤のピンチで踏ん張った。3回に1点を先制され、なお1死満塁。「自分のスタイルは、低く投げること」と言い聞かせた。中島、竹原とオリックスの中軸を連続で空振り三振。5回1失点で後を託した。リードは1点。6回から毎回、得点圏に進められても信じた。最後は9回2死一、二塁。「昨日、勇士がああいう場面で打たれている。抑えて欲しかった」。自分の初勝利より、前日にサヨナラ打を打たれた西野のリベンジを願った。

 これまで勝てなくても「僕が中継ぎで打たれたこともある」と恨み節はなかった。飾らない人柄で「キムさん」と慕われる。ただ、消せない過去と向き合ってきた。秋田経法大付から東京ガスに進んだ。06年ドラフトでは横浜(現DeNA)の3巡目指名を越年交渉の末に拒否。約1カ月半後の07年3月、ルールに反し高校時代に西武から「栄養費」を受け取っていたことが発覚した。球界を揺るがす問題に発展し、1年間の謹慎と対外試合出場禁止を課された。

 「あのころの僕には栄養費問題の善悪は判断できなかった」。母親(故人)の体調が悪く、家計を助けたい思いがあった。もちろん、今は間違いを理解している。「やってしまった過去は消えない。真摯(しんし)に受け止めて、前に進まないと。ただ、あの事件のおかげで大人になれた。そういう意味では、いい経験をさせてもらった思いもある」。大きな代償を払い、成長のきっかけにした。

 QVCマリンの新年開きとなった今年1月5日。真っ先にグラウンドに立ち、走った。「とにかく、初勝利です」。その誓いを果たした。記念球を大事にしまうと、「良いこともあれば、悪いこともある。勝ってしまえば、今まで頑張ってきたことも忘れてしまいますね。気にかけてくれる人が多かった。勝てて良かった」。始まりの1勝に心から感謝した。【古川真弥】

 ◆木村優太(きむら・ゆうた)1985年(昭60)5月21日、秋田県鹿角市生まれ。秋田経法大付(現明桜)-東京ガスを経て08年ドラフト1位でロッテ入団。13年に登録名を「木村雄太」から変更。11年に1軍初登板を果たし、通算38試合で1勝3敗、防御率4・63。190センチ、93キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸1030万円。

 ◆07年に発覚した裏金騒動 3月9日に西武太田球団社長が会見。アマ2選手に栄養費の名目で金銭を渡していたことを明らかにした。翌日、2選手が東京ガスの木村と早大の内野手(3年)と判明。楽天のスカウト部長が当時の西武スカウト部長だったことから職務自粛するなど、球界全体を揺るがす問題に発展した。最終的に、木村は社会人野球を統括する日本野球連盟から1年間の謹慎と対外試合禁止処分が科された。東京ガスも、同年5月の都市対抗東京都1次予選まで公式戦出場が禁止された。

 ◆遅咲き初勝利 ドラフト制後(入団66年以降)、初勝利まで最も年数がかかったのは97年西清孝(横浜)の13年目だが、西はドラフト外入団。1位や自由獲得枠など最上位指名入団で初勝利まで7年以上かかったのは、97年野中徹博(ヤクルト)04年富岡久貴(横浜)の各10年目を筆頭に木村で6人目になる。