1度はあきらめた夢をつかむ。今日24日、プロ野球ドラフト会議(午後5時開始、東京・グランドプリンスホテル新高輪)が開催される。TDK(秋田)の最速152キロ右腕・豊田拓矢(26=上武大)は、社会人5年目で完全復活。プロ6球団から調査書が届いた。多くの試練を乗り越えてきた豪腕が、ラストチャンスに懸ける。

 26歳にして、最大のチャンスがやってきた。上武大では同期生の井納翔一(現DeNA)と2枚看板として活躍し、4年時には最速152キロをマーク。プロ志望届を提出し、会見場も準備していたが指名はなかった。TDK入社後は病気や故障の連続。自慢の球速が10キロ近く落ちた時期もあった。

 豊田

 小さい頃から「へんとう腺」が弱くて、毎年2、3回は40度近くの高熱が出るんです。高3の夏も県大会直前で肺炎になった。ずっと、休んで、やっての繰り返し。練習中に吐いたこともあります。一昨年の2月に医者から「手術しないと野球をまともに続けられない」と言われたんですけど、キャンプ前だったのでそのままにしたら首と肩が痛くなった。今まで投げられた球が投げられない。新しい夢を探そうとしてましたね。

 どん底だった昨年のドラフト直前、父照夫さん(62)が脳梗塞で倒れる。小さい頃は毎日仕事の帰りを待って夜遅くまで練習に明け暮れ、支え続けてくれた特別な存在を失いかけたとき、思いがよみがえった。

 豊田

 秋田からユニホームのまま車で帰ったら、医者に「生きられるかどうか50%」って言われて…。父がいなかったら今の自分はいない。4人きょうだいを育てるのも大変だったはず。このまま親孝行できずに終わるのは嫌だったので、最後に一発勝負しようと思いました。12月にへんとうも両方取って、体も変わりました。

 5年目で完全復活を遂げ、6月の都市対抗予選で150キロをマーク。本戦では2回戦でヤマハ相手に7回2死までパーフェクトに抑え、一躍脚光を浴びた。

 豊田

 社会人に入って初めて150キロに戻った。都市対抗の1週間前に右足首を捻挫して、ヤマハ戦も痛み止めを飲んで投げたんですよ。それでも富士重工の東明と並んで大会最速の148キロを出せた。東京ドームで好投したことで、初めていろんな球団の人から話をもらえたんだと思います。

 近年、ソフトバンク摂津、日本ハム森内ら社会人生活が長かった投手が即戦力として活躍するケースが多い。12月には結婚も予定。父の体調を考えて在京球団を希望しているが、年齢的にも覚悟は決まっている。

 豊田

 すぐ活躍できなかったらクビ。バレンティン(ヤクルト)とかブランコ(DeNA)とか、外国人から真っすぐで三振を取りたい。でも、やっぱり井納と投げ合って勝ちたいですね。【取材・構成=鹿野雄太】

 ◆豊田拓矢(とよだ・たくや)1987年(昭62)3月28日、埼玉・八潮市生まれ。小5から小作田ベイスターズで野球を始める。八潮中では八潮シニアに所属。浦和学院高では1年夏からベンチ入りし、甲子園に2度出場。上武大4年時にエースとして大学選手権出場。TDKでは1年目から都市対抗、日本選手権に登板した。家族は両親、姉、兄、妹。176センチ、85キロ。血液型O。