「いやあ、映画って本当にいいもんですね」のせりふで親しまれた映画評論家の水野晴郎(みずの・はるお)さんが10日午後3時5分、都内の病院で肝不全で亡くなっていたことが11日、分かった。76歳。肝臓の持病や骨折などで、ここ数年は入退院を繰り返していた。宣伝担当者、評論家、監督として、映画にかかわり続けてきた一生を、女優三田佳子(66)らが悼んだ。通夜、告別式は密葬で営まれ、7月にお別れの会が開かれる。

 水野さんは病床でも映画への情熱が衰えることはなかった。4月22日に路上で転倒し、検査入院したのが、今年3回目の入院だった。2カ月前にはペンが持てなくなり、口頭で脚本執筆を行っていたため、親族や親しい関係者も覚悟を決めていた。

 だが、水野さんは誕生日の2日前の7月17日に復帰会見を行うつもりで治療に専念していた。枕元には監督、脚本、製作を務めてきたシリーズ「シベリア超特急」の新作脚本が置いていた。DVDで過去のヒチコック作品や新作を見て「どこからが仕事で、どこからが趣味か分かんないね」と苦笑いしていたという。

 亡くなった日、水野さんが中心になって設立した日本映画批評家大賞の西田和昭事務局長(49)が病室を訪れ「『シベ超』作んなきゃだめですよ」と励ますと、親指を立て「オッケー」と笑ったという。最期は兄弟がみとったという。水野さんは5人兄弟の長男で、遺体は都内近郊の次男の自宅に運ばれた。

 映画の素晴らしさを伝え続けてきた一生だった。岡山県で生まれ、56年に20世紀フォックスに入社、日本ユナイト映画に移り宣伝総支配人として活躍した。67年公開のイタリア映画「夕陽のガンマン」など、多くの邦題を付けたことでも知られる。

 映画評論家として独立後「水曜ロードショー」(後の「金曜ロードショー」)の解説を始めた。米映画「シェーン」の収録の回に「いやあ、映画って本当にいいもんですね」と思わずつぶやいたのが、広がった。物まねされたり、「シベ超」シリーズが話題になり、愛嬌(あいきょう)のあるキャラクターであることも加わって、幅広い世代に人気になった。

 しかし、体重の増加とともに肝臓の持病が悪化、06年1月には自宅で吐血して意識不明になった。昨年6月には背骨骨折で入院するなど、体力の衰えは止められなかった。

 大きな夢が3つあった。評論家による映画賞をつくること、監督をすること、映画塾を開くこと。2つは「日本映画批評家大賞」「シベリア超特急」でかない、「水野晴郎映画塾」が6月に開講し、3つめもかなったばかりだった。亡くなったことが分かった日も、塾には生徒が集まった。関係者は「全国に教え子はたくさんいるので、水野が伝えたかったことは伝わっていく」と語った。

 復帰会見をするつもりだった7月17日、東京・品川プリンスホテルでお別れの会が開かれる。