このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > 芸能 > シネマ > ニュース



92歳市川崑監督死去、最後まで創作意欲

86年、「映画女優」製作発表で吉永小百合と映写機を持つ
86年、「映画女優」製作発表で吉永小百合と映写機を持つ

 記録映画「東京オリンピック」や「ビルマの竪琴」など多くの名作を作った映画監督の市川崑(いちかわ・こん)さんが13日午前1時55分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。92歳。先月24日に体調を崩し、入院していた。巨匠の死に衝撃を受ける映画関係者は多く、「細雪」「おはん」など多くの市川作品に出演した女優吉永小百合(62)はベルリンで悲報に接し、絶句した。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。喪主は長男建美(たつみ)氏(60)。

 市川監督の遺体はこの日早朝、病院から都内の自宅に戻った。主人を失った自宅は一日中、悲しみに包まれるようにひっそりとしていた。監督は1月24日に「息苦しい」と訴え、そのまま入院した。小康状態を保っていたが、長男建美さん、長女舞子さんら家族に見守られながら眠るように亡くなったという。穏やかな最期だったが家族のショックは大きく、多くの弔問の申し出を断り、対面したのはフジテレビ日枝久会長や一部の映画関係者だけだった。

 くわえたばこがトレードマークで、1日4箱吸うほどのヘビースモーカーだったが、晩年は1箱半に減らしていた。好物の肉料理も減らし、リンゴを食べるなど食生活にも気を使っていた。健康管理を徹底していたのは、映画への情熱があったからだ。高齢であることもあって、新作現場では「あと何本取りたいですか」という質問がよく出た。しかし「手帳には20本くらい企画が書いてある」と答えるなど、創作意欲は衰えることはなかった。最後の作品になった76作目の「犬神家の一族」の試写会では、完成したばかりの作品を目の前に「もう少し長生きして、もうちょっとちゃんとした映画を作りたい」と笑わせた。

 巨匠と言われることが多いが、言葉のイメージと違って、柔軟な創作体勢を常に保っていた。「犬神家-」リメークの時には、CGを「時代のすう勢だから。若返ってたしなみたい」と話した。旺盛な実験精神は、65年の「東京オリンピック」で存分に発揮された。ストップモーションなども多用し、記録か芸術かで物議を醸した一方、カンヌ映画祭で国際批評家賞を受賞するなど海外で高い評価を受けた。学校や地域で繰り返し上映されたことで、約1800万人を動員した。記録は今でも破られておらず、日本映画史上最大のヒット作と言われている。

 ディズニーアニメを見て映画界を志し、アニメーターとして修業を積んだ異色の経歴だ。「東京-」に代表されるドキュメンタリー、監督の名前を一躍知らしめた「ビルマの竪琴」や「野火」などの文芸作品だけでなく、恋愛もの、アニメなどあらゆるジャンルの作品を、妻で脚本家の和田夏十(なっと)さんと二人三脚で手掛けた。また、大作に取り組む一方、テレビの「木枯し紋次郎」などで斬新な映像美とさえた演出を見せた。83年に夏十さんが亡くなった後も、四騎の会で活動した黒沢明監督らとの共同脚本を映画化した「どら平太」や「かあちゃん」などをヒットさせた。

 映画人だけでなく、三谷幸喜や宮部みゆき、和田誠、椎名誠ら作家や画家など、創作者に影響を与え続けてきた。「映画は天職」と語り、衰えぬ創作意欲から、新作が最も待望される監督だった。

[2008年2月14日8時47分 紙面から]

  • エヌスクへ
関連情報

最新ニュース

記事バックナンバー

「92歳市川崑監督死去、最後まで創作意欲」に関する日記

  1. エヌスクユーザーなら、自分の日記をこのページに  できます。
  2. まだエヌスクに登録していない方は こちらで新規登録 ができます。


このページの先頭へ