NHKやフジテレビでアナウンサーとして活躍した頼近美津子(よりちか・みつこ)さん(本名・鹿内キャサリーン美津子=しかない・きゃさりーん・みつこ)が17日午後1時46分、心不全のため千葉県柏市の病院で亡くなった。53歳だった。84年にフジテレビ鹿内春雄副社長(当時)と結婚して引退したが、88年に春雄氏が死去した後に復帰した。2年前に食道がんを宣告され、抗がん剤治療を受けていた。葬儀は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男の鹿内雅雄(しかない・まさお)氏。

 関係者によると、頼近さんは2年前に食道がんと診断され、本人にも告知されたという。だが、仕事関係者には病気を知らせず、抗がん剤治療を受けながら、クラシックコンサートの司会や雑誌の対談などの仕事を続けていた。

 今年4月10日に音楽雑誌で対談を行ったが、3日後に体調を崩して柏市内の病院に入院した。今月13日に肺炎を併発し、17日午後、2人の息子と実弟ら家族らにみとられて静かに息を引き取った。6月にも仕事を入れており、インタビューも受ける予定だっただけに、無念の死だった。都内の斎場で18日に通夜、19日には密葬が行われたが、いずれも親族のみの約30人が参列した。

 頼近さんは“元祖女子アナ”だった。78年にNHK入局した直後に永六輔が司会の「テレビファソラシド」に抜てきされた。その美ぼうに加え英語も堪能、ピアノもうまい女子アナとして一躍人気者になった。80年には「ニュースワイド」のキャスターに起用され、フジテレビの田丸美寿々アナとともに美人女子アナともてはやされ、テレビ誌「TVガイド」の表紙も飾った。

 81年にフジテレビに電撃移籍し、契約金は2000万円(推定)と話題を呼んだ。「小川宏ショー」のキャスターとして活躍したが、84年にフジサンケイグループ創始者鹿内信隆氏の長男でフジテレビ副社長だった春雄氏に見初められて結婚し、同局を退社した。超玉のこし婚と騒がれ、2児をもうけたが、88年に春雄氏が肝不全のため42歳で急死した。

 93年にNHK「名曲音楽館」の司会者として復帰し、96年には大河ドラマ「秀吉」に渡哲也ふんする信長の妹お市役で女優デビュー。同年のフジテレビの番組でもキャスターとして復帰した。

 その後は番組制作会社「テレビマンユニオン」に所属し、クラシックコンサートの企画、司会のほか、音楽エッセーの執筆、朗読劇挑戦など幅広い活動をしていた。

 20代では元祖美人女子アナ、玉のこし婚と騒がれ、羨望(せんぼう)のまなざしで見られた頼近さんだったが、春雄氏の死後は数々の苦労も経験したようだ。

 春雄氏の遺産は東京・田園調布の邸宅、フジテレビ株などで約14億円と言われたが、春雄氏が生前に多額の借金を抱えていたこともあって、田園調布の豪邸やフジテレビ株などを売却。一時はかなりの借金があったと週刊誌などで報じられたほどだった。最近は賃貸マンション暮らしで、鹿内家とも疎遠になっていた。

 [2009年5月20日8時41分

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