映画「青い山脈」など戦後を代表する映画で知られ、永遠の青年と呼ばれた俳優の池部良(いけべ・りょう)さんが8日午後1時55分、敗血症のため都内の病院で亡くなった。92歳だった。1カ月ほど前に体調を崩し、入院していたという。葬儀は近親者で済ませ、後日お別れの会を開く予定。喪主は妻美子(よしこ)さん。
最近の池部さんは、俳優よりも執筆業が中心で、月刊誌「百歳万歳」などの連載は続けていた。90年に胆石手術を受けたことはあったが、特に持病はなかった。所属事務所によると、肺炎を起こすなどして1カ月前から体調を崩して入院していたが、電話では「涼しくなったら食事に行こう」と、元気な様子だったという。最期は夫人がみとった。
多才な人だった。俳優のほかに文筆業、監督もこなした。もともとは小説家を希望し、小説の神様と呼ばれた志賀直哉を尊敬していた。立大在学中に、映画脚本にひかれ、東宝撮影所のシナリオ研究生に。大学卒業と同時に東宝に入社し、脚本家や監督を目指したが、二枚目のルックスが島津保次郎監督の目にとまり、入社した年に「闘魚」でデビューすることになった。
召集され、復員後は俳優を続けるか迷ったが、175センチの、当時としては長身のスタイル、甘いマスクを映画界はほっておかなかった。「青い山脈」(49年)「暁の脱走」(50年)などに主演。特に「青い山脈」では、ヒロインの恋人の高校生役は話題になり、人気スターになった。31歳で高校生を演じられたほどのさわやかさで、永遠の青年、万年青年と呼ばれた。
その後演技派に脱皮、小津安二郎監督の「早春」(56年)では、倦怠(けんたい)期のサラリーマンを好演。「雪国」「暗夜行路」などの文芸作品でも高い評価を得た。
さらに60、70年代の東映任侠(にんきょう)映画「昭和残侠伝」シリーズでは、高倉健が演じる主人公と敵対しながら友情で結ばれる役柄で人気を博した。
23年間在籍した東宝を退社後、念願だった製作業に進出。独立プロダクション、池部プロを設立し、記録映画「ベトナム戦争」や、東映と配給提携した「五泊六日」などを製作。しかし、67年に1億円の負債を抱えて倒産した。負債返済もあってドラマや舞台にも積極的に出演するようになり、幅広い人気を得ることになった。
エッセーやコラムを、多い時には6本も掛け持ちし、映画人初のゴルフ本を出したり、日本映画俳優協会の初代理事長も務めるなど、常に精力的だった。だが、原作著書「そよ風ときにはつむじ風」がドラマ化され、出演依頼を受けた時には「原作者は俳優でも演出家でもない」と断ったという。いくつもの顔を持った池部さんの素顔は穏やかで控えめだった。
[2010年10月12日8時29分
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