<ボクシングWBA世界スーパーフェザー級スーパー王者 内山高志(35=ワタナベ)>

 僕が五輪を意識するようになったのは、大学4年の時に全日本選手権で初優勝したことがきっかけでした。それまでは雲の上の存在でしたが、内定していた企業にも断りの連絡を入れて、競技を続けることを選びました。年齢的にもちょうど良かったですし、04年のアテネ五輪を現役最後の集大成にしようと決めました。

 ところが、出場権をかけた最終予選で、あと2勝というところで負けてしまいました。漠然と「行けるだろう」という自信もあったので、悔しいのと、これで9年間続けてきたボクシングが終わりなんだという寂しさもありました。パキスタンでの大会だったのですが、あの夜のことは今でも忘れられません。

 その後、結果的にプロ入りを決めたのですが、翻意したのは最終予選前にもっと努力できたという思いがあったから。だからこそ、プロ入りの時は、そういう後悔をしないように、死ぬ気で練習しようと決めました。もし五輪に出ていたら、満足して、今の自分はなかったと思います。世界王者となった今でも五輪は特別な存在です。昨年末の防衛戦で対戦したペレス(アルゼンチン)は、00年シドニー五輪出場経験のある同い年。僕が大学で荷物持ちをしている時に五輪に出ていたのかと思うと、燃えるものがありましたね。

 東京五輪の時、自分は40歳ですか―。現役だったらすごいですね(笑い)。スポーツ選手にとって、自分の名前を知ってもらうことは大切なことです。国内開催となれば、他の大会以上の注目度だと思いますし、目指せる選手はうらやましい。4年に1度というのは、それだけでものすごく価値があることです。若い選手にとっては大きな目標にもなりますし、たくさんのメダルが生まれることを期待したいですね。

(2015年07月01日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。